コミュニケーションへの投資
これまでさんざんコミュニケーション能力に投資してきた。
というのも僕は、実はものすごくコミュニケーションや自己の恐怖にストレスを抱えるタイプの人間で、物心ついた時から買い物についていって親の知り合いに会えば隠れるような、発表会で踊ってくださいと言われれば断固として拒否するような、跳び箱を飛んでくださいと言われれば踏み切り台でジャンプできないような、運動会で人間ピラミッドを作ってくださいと言われれば恐怖で身体が固まるような、運転免許を取るために教習所に通えば高熱で倒れるような人間だった。一人暮らしをしてからは自分の怖いものから極力逃げて生きているが、仕事となるとそうもいかない。結局逃げているのだが、コミュニケーションが今一番僕にとって怖いかもしれない。
つまり、傷つくのが痛いので嫌だということだ。強弱はあれど誰しもこれに関しては同意していただけることと思う。随分自分が男気を出す場所や逆鱗に触れる場所も特定の場面であることが今年はわかったので、今後は平和のためにそういう無益な戦いからも逃げていこうと思っているが、何かそういう感覚が人一倍強いのではないかなという気がしている。
あれは、病気だった
実を言うと小学生の頃は選択性緘黙だった。今でこそ症名が一般に知られるようになってきて広報した甲斐があるなという感じだが、この症名が僕の耳に届いて症状を自覚したのはまだ7年前くらいのことである。
大体ここに書いてある通りでもう説明する気力もないのだが、家のドアを開けるとその瞬間に喉から音が出なくなるといった感じで、小学生の頃は1日ひとことしゃべれれば良いといった感じだった。音読も学校ではできなかったし、友達の家に遊びに行きたい時は20分休みに目をらんらんとさせてアピールすることで他人の家に上がり込んでいた。幸いゲームは大好きだったので、DSを持ち込んでチャットすれば当時からまあまあ面白いことは言えた。それが学校で噂になり、心無い声もあったが友達付き合いは凌いでいた。
今後の活動方針をふわふわ考える
ただそんなことは遠い昔の話で、日常会話ができるようになった今では後遺症を自覚することもほとんどない。しかし、本能的にはそのくらいの臆病さは脳の中枢に備えているので、ふとしたストレスには未だ弱いほうだという気がしているし、実際に顔色が急に悪くなって不思議がられることもある。
そんな中、最近自分の活動が何なのかもよく分からないままひた走っているが、自分の中のどの能力を仕事としてマネタイズするか、継続的にやっても精神的に負荷がかからずゆっくり拡張可能なシステムにできるのかは、色々と考えながら動いている。
その一つにライティングも含まれているが、これはどちらかというと一人で負荷なくできる反面どこの誰が見てくれるのかもわからない。逆に言えばそこが面白いのだが、もし人に文章を売る活動をするとなった場合には(というか何を納品するにしてもそうだが)発注してくれた方とのコミュニケーション、僕のお客さんとのコミュニケーションが必要不可欠になってくる。
何をするにもこの人生をやっていると未だここが楽できないポイントだなと思っていて、相性のいい誰かと小さなチームを組んだほうがいいのか、自分一人で散発的にいろいろな方と1対1でものを売る中で対話を積み重ねていけばいいのかは、まだ良い答えが出ていない。
ありがたいので尽くします~!みたいなメンタリティで毎日生きていけたらどんなに気が楽だろうか。なかなか申し訳ないがまだ今の僕には厳しい。もっと他人のことを負荷ではなく奉仕対象として心から思考の中に入れられたならば、僕から見える世界も変わってくるかもしれないと、ふと思った。
今の僕には感謝が足りないのだ。
コミュニケーションへの投資について
殆ど緘黙の視点から自分を視ることもない歳になってきたが、散々思い起こせばコミュニケーションに投資し、向き合わなければならないとずっと当たり前のように苦労してきた。今不安障害も何もないような人としゃべっていると本当に心無いことを言える「何考えてんだ」みたいな人も多い。しかしそういう人は特段自分のこころの傷つき方に僕と似たような要素がないまま、その個体値で生きてきた人間なので、わかってもらう必要もなければその時間だけ無駄かなとも思っている。そうした方はそうした別の能力をもって、僕の知らない触れられないエリアで経済を回して頂ければ僕にとっては感謝するしかない非常にありがたい存在なので、遠くから崇めさせて頂く。
しかし経営者や個人事業主の方とお話していると、やはりものごとは円滑に進めたいという方もけっこうな割合でいらっしゃるし、僕も昔に比べれば知恵をつけてきたので「ああ今すごくやさしく指摘してくださっているな」という気遣いも感じられるようになった。こういう能力の拡張の先にある楽園というのもあるから、コミュニケーション能力に限らずどんな能力でもいくらか投資しておいた方がよいと僕は思う。結果的にそれが効率の悪い行為だったとしても、それが分かっただけで人生は確実に良くなるのだ。
今日必要な、明日必要な会話のことを考えると今も拒否反応が出てしまうが、長い目で見て僕の対話能力も少しずつ鍛錬していかねばならない。
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