興福寺と平城宮 その2
昨日書いた続きです。編集しようかと思ったけれど、その2として独立させようと😀
今回の奈良に来た目的はあの阿修羅像に会うことだったのでほとんど達成していたのですが、奈良に来るにあたってちょうど空海展が行われてることを知ってこれは行かなきゃと。
何年か前、京都の国立博物館で天台宗のすべてという展覧会がありその時に天台宗 (最澄・円珍・円仁もちろん空海も登場します。) を中心に天台宗の成り立ちや天台宗のその後の流れを見たのですが、空海が最澄に勝ってたのような2人の話で、その後最澄が負けたからこそ、天台宗が発展した弟子が頑張ったのだ (仏教関係者の皆さんドシロウトの戯言ですのでマジレスやめてね) のようなものを見ていて、「おい!お前ちょっと空海のことも見に来いや」と呼ばれた気がしたので、ここは一つ両方の意見を聞きましょうとやってきたわけですw
空海という人は中国から密教を持ち帰り、真言宗を開いた。現代に多くの逸話を残す人物なので、展示されるものがたくさんあって面白いのですが、天台宗と比較をされるようなものはあまりありませんでした。
三筆と呼ばれるぐらい筆の達者な人なので残ってる書状なども興味深く楽しい展覧会でした。
もともと東寺の特別拝観などで曼荼羅などは見ていましたのでおおーまたお会いしましたな。って感じでした。
展覧会関係は中の写真が撮れないので、大して面白いレポートもできませんが😅
空海展を見終わってふと思い出したのですが、もう一つ前回奈良に来た時に帰りに気がついたところがあって、近鉄から京都への帰り道。朱色の門が車窓から目に入ったのです。
「なんじゃあれは?」と。
帰って調べてみると平城宮跡だと言うじゃないですか。
子供の頃から京都に住んでいる私にとっては「そんなものはここ何十年生きてるが聞いたことないぞ。」なわけです。
奈良公園から西大寺方向へ3〜4km。
歩いてすぐだな (感覚がバグってる) 実際は1時間ぐらいかかったのですが、到着しました。
なんて広いんだろ。
なんで何もないんだろ?
え???
おい、門くぐったら向こうにもう一つ門があるじゃないか??
実はさらにもう一つ向こうに建物があるんです。
このぐらい大きいんだということを表現したかったのでしょうか?
脇の建物に入ると展示会場があってこの門や建物は奈良県の妄想で作られたものではなく、過去奈良の発展のために私財を投げ打って、この辺の土地を買って発掘すれば、きっと平城宮跡が出るだろうと思った偉い先人たちがいて、奈良県に土地を寄付し、発掘作業した結果、実際に出土されたものが多々あり、平城宮跡はここにあったのだということがわかったみたい。
そしてここにレプリカを作った。というもの。
そもそも私の目的は散歩なわけで、観光中心じゃないので面白いとか興味が湧くとかは二の次でいいのですが、さすがに3つ見る気は起こりませんでしたw
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帰りは普通の近鉄特急に乗れ、快適にビールを飲みながら帰りました。
この次は鑑真さんのお寺でも訪れようかと思ってます。