フリコが虹の橋をわたってから6Days passed.
昨日に引き続き、今日も家にいるのがとても辛かった。そりゃあそうだ。だってフリコは生活の一部だったのだもの。わたしのルーティンだったんだもの。静かに当たり前に家のあちこちにいたフリコ。亡くなってからずっと、いつもフリコが夜に動きまわる音がしていて、朝起きるまで「いる」ことに疑いもない夜が明けて、起きてから辛い現実に向き合うというのが続いていた。
もう、あの日から1週間だなんて。あの日の朝は、まさかその夜にフリコとお別れになるだなんて、思いもしていなかったのに。逆から時間を遡っていくと、また辛い気持ちに圧倒される。じゃあなんでするの、という感じだけど、してしまうんだな。家にいると、気づいたら同じようなことを堂々巡りで考えている。
なにかを切るように、思い立って1人車を走らせて北海道神宮へ行くことに。
北海道神宮は、わたしが生まれた時に参拝に行ったらしい神社でもあり、自分のまわりのエネルギーが重く感じる時は普段から必ず行くようにしている。
境内の中には美しい杉林があって、香りが立って肺の中から浄化される感じがとても好きな場所。行った後は何か軽くなっている実感がある。(TOP画像は北海道神宮で撮ったもの)
いつもと違うこういう時は、心身ともある意味、緊急事態モードになっていて運転の精度も落ちている。以前、ニューヨークの実家に帰省した時に、ノーブレーキで横から車をぶつけられたことがあった。運転手はおじいさんで「数日前に息子を亡くしたばかりで上の空だった。申し訳ない」と話していた。その時はとてもお気の毒だったし、不幸中の幸いで、家族全員乗っていたけど大丈夫で、わたしだけが軽いムチ打ちくらいで済んだので、特に大ごとには至らなかったのだけど、ふとそのことを思い出して、参拝した後はまっすぐ帰るつもりだった。車に戻ると車体が雪解け水の跳ね上がりと融雪剤の塩で、汚れているのがすごく気になったので、近くのコイン洗車場で車を洗い、いつものようにドアを全部開けて掃除機をかけたらば、急にスッコーンと自分自身がすっきりした。3段階くらい軽くなった。肩こりが急に消えたような感じ。とても驚いた。
近年は、掃除=浄化=お祓いのように思ってやっているので、普段から自宅の水回りの排水溝やトイレ周り、キッチンなどは小さく都度サッときれいにすることを心がけているのだが、最後もう息をしてるかどうかもわからないフリコを、赤ちゃんみたいに毛布でくるんで抱っこして乗せたのは、この車。もしかしたら、通院中から継続してのフリコ自身の苦しさと辛さ、気が動転しながらも雪の降る中、一刻も早く、でも安全に病院までたどり着こうとしていた雪夫の抑え込んだ悲しみや、泣きながら必死にフリコの名前を呼び続けて心臓マッサージをしていたわたしの引き裂かれた魂の叫び声など、車内に残っていたいろんな感情や空気感を全部、車が受け止めてくれていて、全部を吸い込んで圧倒されていたのかもしれないなと思った。
そんなこんなで「今日はもう書くのは無理かもしれないな。やっぱり大切な愛犬が亡くなった後に毎日書くなんて無理だったんだ」と今朝はとても重い気持ちスタートの朝だったのに、少しまた何かから見えないチカラをもらって、近くの森の中に車を停めて今これを書いているが、ちょうどの1週間を区切りにこのマガジンも次の回からは不定期更新にしていこうとおもいます。
思えば、先代が亡くなった日は、悲しさのあまり、一緒に死んでしまいたいと思ったんだったな。15年間、ともに時間を過ごした大切な我が家の長女だった。今になって、あの時はどう過ごしていたんだっけと思うことがある。先代の様子や、看病と小さい子との生活をどう両立させていたのだろうとか、今更ながらあんな悲しみのどん底だったのに、どういう過程を経て自分自身を立て直したのだろうという失ってしまった自分の時間の記憶。少しでも写真の裏にでも(当時は撮った写真は全部フィルムを現像する時代)書き残しておけばよかった。小さな子がいて、しかも妊娠初期の酷いつわりやらで、それは叶わなかった。だからこそフリコのことは悲しみに押し潰されて何も出来ないように感じる日もあるけど、なるべく忘れないうちに書いておきたいし、書いて、読んで、編集するのを繰り返すことで不思議と癒されているし、なにか自分のなかに既に走り出した良い惰性のチカラを生み出している気がしている。もし誰も読んでいなかったとしても、これは自分の為にやっておきたい、残したいという強い気持ちがある。
「フリちゃん、マミーがんばるよ!」
1日数回、まったく躊躇いもなく普通に声を出してフリコに話しかけているのだけれど、今日は少しだけ声にチカラがあったな、と自分でも思えた。
ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪