ハマータウンの野郎ども
大学入学まではかなり順調な人生でした。
大学生をイメージした時、やはり飲み会でぶっ潰れて、丸一日全部無駄にしてしまうような、そんなlife is partyな生活を予想していました。高校当時、尖っていた私は「全部の授業出る」と息巻いていましたが不可能でした。
それはなぜか、私の怠惰な性格、精神病を名乗る人は多くて嫌なので、ギリ正常人間と表現します。それに加えて他責的な原因が立ち込めることもあるのです。経済状況が悪い。私は尖り散らして生きています。中学時代は、社会のレールに乗りたくないという気持ちへ少しだけ傾いたりもしましたが、それよりも強固に押さえつけられる「親が歩んできたレール」への反逆をしようと思ったのです。経済状況の貧しい家庭で育ったので、不良になったり、低い賃金で働く未来は必然だと思われます。それは肌感覚として痛感する。経済的な階級をごちゃませにしてリセットする目的であろう教育機関もあまり頼りになってないし、むしろ格差を際立たせているのは明らかです。大学に入り、留年が決まりかけている今、期日を過ぎたレポートがまた1つ増え、残り数日にせまったレポートへの焦燥感に駆られながら、それを忘れるためにお笑いを見たり映画を見たりするんです。丸一日無駄にして。
社会に出るギリギリになって、「お前は、貧しい家の生まれだろ、自覚しろよ」と社会階級の亡霊に必死に押し戻されるような感覚です。身分を弁えろよ、と。私は芸人を志す事もありました。もっと受験に失敗していたら進んでなっていたでしょう。しかし、私は親のレールに乗らないために、正しい道を進まなければならないのです。まともに就職しなければならないのです。もっと、良い家庭に生まれたならば、私は芸人に進んでなっていた事でしょう。それこそが反逆ですから、まぁ敢えて貧しさに飛び込む理由もないですが。
「貧しい家の子は進んで不利な状況を自らで選び取っていく」のが世の常で、私もその節があります。退廃的な気分に憧れるし、表層的なデカダンスに溺れかけた事もあります。幸福には生きられているので何の苦労もありません。有る程度のお金があれば苦にならないのは、貧しい生まれの特権かもしれません。ギャルソンとかヨウジの服欲しいから金は欲しいけど。
ただ、最近思います。貧しい家庭の方が、夜ご飯の会話は多い、ような気が。生活感は要らないから、机の上に子供が落書きをして、それをガミガミ言うお母さんに恵まれて、子供の身長を測るのに、壁に傷跡を当たり前のように書ける家庭が好きなのだなと感じます。生活感万歳です。それぞれ幸せの形はありますが、私はこっちが染み付いてきたようです。だから、これには反抗しないし、多分できない。だから、このまま生きようと思います。
原宿にある喫煙可の喫茶店で書いています。原宿ギャルが本を読んでいて、少しキュンとしました。
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