細いおじさん
アルバイトの終わりはいつも朝の8時から9時くらいで、早朝に有楽町に放り出される。雨だったので、ハードカバーの思想書を定価で買いたいメンタル状況だったので、近くにある書店に寄りたかったが、当然空いていない。調べると10時オープンだったので、喫茶店に寄った。前までは煙草が吸えたが―確か2020年4月という、喫煙者の思い出の日を乗り越えたのに―いつのまにか、吸えなくなってしまい、喫煙室に行かなくてはいけなくなった。普段は喫煙室に近い席を探すが、その日は混んでいて、遠くにある壁際の席に腰かけた。いつも行き当たりばったりで、予定が組まれていくのだが、今日はなぜか書店に行く予定があったので、家に出る直前にチェーホフの『かもめ/ワーニャ叔父さん』の文庫をトートバックに詰め込んでいた。ワーニャ叔父さんのために買ったのだが、かもめはまだ読めていなかった。しかし、喫茶店で一息ついたとき、自分が戯曲を読むメンタル状況になかったので、しょうがなく、ぼーっとしていた。コーヒーを飲んで、喫煙室に歩いて、戻って。すると、少し遠くに座っていた、細身で40代くらいのおじさんのもとに、若い女性が合流した。よそよそしいような関係性であった。
「何勉強してるの?」
「看護とか、です」
「それで、お金ないんだね」
「はい、友達もやってたので・・・」
距離が遠く、あまり声が聞こえないが、こうした断片から、大方の予想通り、パパ活ではないかと思った。10分程度会話をしているのを遠目に眺めてから、彼らの卓を横切る形で、喫煙室に向かった。
煙草を吸い終わり、席に戻ると、彼女は消えていた。トイレにいったのだろうと推察して待ったが15分ぐらい戻らない。多分、おじさんと話すの嫌だから、時間稼いでいるんだなと予想していたが、その席にやってきたのは、また別の女性だった。また同じような会話をし始める。10分程度話してその女性は帰宅、数分して、男も帰った。パパ活説が薄まり、悩んでしばらく考えてしまった。有楽町は歓楽スポットではないから、ラブホテルもない。
そっちが気になるが、どうしようもないので、開店したばかりの本屋に向かう。肌に合わない本屋なのは何回か行ったことあるのでわかるが、中規模の大きさはあるので、妥協点である哲学書のコーナーによる。人文学系の棚がかなり狭かった。例えば、本の間に挟まっている、著者毎のしおりみたいなやつでいうと、「フロイト」の隣の列に、「江原啓之」のしおりがあった。江原啓之は、美輪明宏の隣にいる謎のおじさん。僕は、江原啓之で遊んでもよかったのだけど、「心屋仁之助」のしおりもみつけた。彼のことはテレビで数回見たことがある。悩みを抱えた女性をいい意味で沢山泣かせて解決させる細見の髭おじさんだった記憶がある。彼を知らない多くのひとも、検索とかまでしなくていいです。夏目漱石や芥川龍之介でみたことある作者しおりを、心屋仁之助で作るとき、恥ずかしくないのかと思った。そうなると、心屋仁之助のしおりを勝手に移動させた場合、なにの隣に置くのが一番良いかを探すことになる。悩んだ結果、哲学書が近かったので、「心屋仁之助」と「ラカン」を横並びに配置した。これを知らない人が見たとき、心屋仁之助に箔が付くことは決してなく、ラカンが割を食うのは目に見えているし、近くにあったデリダの著作もお弁当屋さんのレシピ本かなにかだと思うだろうし、非常にワクワクした。金八先生でいうところの「腐ったミカン」としての心屋仁之助は、悩める人を泣かせて、腐らせた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?