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9歳で「生きづらさ」から解放されたワケ

ふわっと、体が軽くなった感じがして、世界が明るく見えた。そんな瞬間があったことを、13年経った今でも覚えている。

小さい頃は、周りからよく「おとなしい」と言われる子どもだった。目立つのは嫌いだし、恥ずかしがり屋で知らない人とは喋れなかった。常に人からどう思われるかを気にして生きていたと思う。

9歳のとき、家族の事情でインドネシアのバリ島に移住した。英語もわからない中インターナショナルスクールに通った。クラスにはイギリス人、カナダ人、オーストラリア人、ミックスの子などいろんなルーツを持つ子がいて、それまで外国の子と関わる経験がほとんどなかった私は内心戸惑っていたと思う。

学校以外の環境も日本とはまったく違う。家は日本のように清潔じゃないし、虫やヤモリが多い。食べ物も違う。お店のトイレではトイレットペーパーがある方がめずらしい。何より、周りにいる人間は肌が黒くてバリ語を喋るのだ。

そんな初めての経験ばかりの中で、なんとか順応しようと生きていたある日、家の近くを歩いていた時のこと。

ふっと体が軽くなった。
「あ、そっか。これで良いのか」と思った。

他の人と違う自分でも良いんだ。何も気にしなくて良いんだ。自分のままで良いんだ。そう思った瞬間とても楽になった。生きるのってこんな軽やかにできることだったんだ。心配事ばかりしたり、周りに合わせながら生きなくて良いんだ。自分の思うままに存在していて良いんだ。相手がそれをどう受け取るかは相手に委ねれば良いんだ。

この時から、生きるのが楽になったと思う。私は私。他人は他人。相手がどう思うかは相手に任せられるようになった。嫌われるかビクビク気にしても仕方がない。自分は自分の信念に従って生きている。それをどう思われるか気にしなくて良いんだ、と。

日本では、周りと一緒であることを求められることが多いと思う。「出る杭は打たれる」という言葉もある。人と違うことをすると同調を求められる。最近は個性が尊重されるようになってきてるとはいえ、人と違う意見をはっきり言える場面はそう多くはないのではないだろうか。

そんな日本にいた時は、無意識のうちに周りと一緒であろうとしていた。でも海外に住み始めて、そもそも外国人である自分が周りと同じであろうとするのが難しくなった。文化も見た目も何もかも違う中で、「周りと違う自分」が当たり前になった。周りと違うことが当たり前になってやっと、ああ、周りと一緒じゃなくても良いんだ、と思うことができたんだと思う。

先日、「日本で生きづらさを抱えているなら海外へ出てしまおう」というインタビュー記事を書かせていただいたけど、まさにこのタイトル通りの経験だったと思う。

でも、日本にいるときは自分が生きづらいことにも気づけない。逆もあると思う。日本がいかに豊かで生きやすい国なのかということにも気づけない。
海外へ出て初めて、比較することができる。

だから、海外に出たことがない人はぜひ一度出てみて欲しいと思う。もちろん、海外に行ったからといって全ての人がこの経験をするわけじゃないと思うし、仮に生きやすくなったからといって人生が楽になるわけじゃない。悲しみも苦しみもある。

でも少しだけ、生きるのが楽しくなると思う。



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