SUPER EIGHTの「生きてる僕ら」がアイドル側からの"オタ活"に対する姿勢へのアンサーなのではないか。という話

推しを応援するにあたって、私は生きていてくれればそれでいいし、ステージに立って、たまに元気だよって教えてくれればそれだけでいい。これは櫻坂46であってもSUPER EIGHTであっても、その他どの推しに対してもそうで、これが私のスタイルなんだろうなと思う。

たくさんグッズを買ったりライブに行ったり、お金かけてるから自分の願望と違うかったら文句を言う人の気持ちも理解は出来る。「これだけお金かけてるのになんで私の好きな○○になってくれないの」「アイドルの○○が好きなんだからお金払ってる分ちゃんとアイドルやってよ」ってまあ理解はできるけど、なんか違う。

じゃあお金を払ったら何でもするのかって事になってくる。届く声は大きくなるかもしれないけど、その届いた声を自分に取り入れるか取り入れないかはアイドル本人が決めることだし、それにこちらが口出す権利は全くない。その人のアイドル人生だしその人の生き方だから。気持ちに蓋をしてファンが求めるアイドルをするんじゃなくて、自分がこうありたいと選んだアイドルとして生きてる姿を見ると安心する。その「求められている姿」と「自分がなりたいアイドル」が一致していれば、一致する時が来たのであれば、すごく嬉しい。そのくらいでいい。

生きていてくれるから、ステージの上で輝いてる姿を見てそれが私のこれからの活力になるわけで
生きていてくれるから、綺麗なお顔を見て胸がときめいて笑顔になれるわけで
生きていてくれるから、憧れて素敵な人間であろうと一歩踏み出すわけで
もっともっともっとたくさんあるはずの私の行動の理由はきっと元を辿ればほとんど全て彼ら彼女らにあるから。
例え彼ら彼女らのその姿が過去のものになったとしても、そのおかげで生きていられた期間があることに変わりない。応援している人達の名を私の口から発しても恥じないような人間でいられるように、自我が保たれる。

少し前に大手垢さんのマシュで「アイドルって既に幸せなのに、一般の幸せも手に入れるなんて図々しい」というのをチラッと覗いて、本当にはらわたが煮えくり返るかと思った
応援されて仕事してたくさんお金もらってステージでキャーキャーされる姿しか見てない私たちがそんなこと絶対に言ってはいけない。
日本中、時には海外にまで飛び回って仕事したり、仕事の合間に仕事したり、多忙による体力的な疲労はもちろん、ビジュアルを維持するためのダイエットや運動などを仕事とは別でこなして。四六時中世間から監視されてる職業に就いて、あることないこと言われたり自分の発言が思ってもみないような解釈をされたり、腕を組むとか誰の話を聞くとか自分でも無意識みたいな何気ないことで過剰に反応されたり。

もっとたくさんあるだろうし想像もつかないような辛いことだってきっとあるはずなのにどうしてステージにいてくれるのか。
それが「楽しいから」と言ってくれる。
ファンと一緒に盛り上がるのが楽しい、ファンが喜んでくれるのが嬉しい、愛してくれるのが嬉しい。
楽しいから私たちの未来を照らしてくれる、元気づけてくれる、勇気づけてくれる。
どれだけ辛いことがあっても、私たちの前ではそう言ってくれる。これがどれだけ大事に思われてるか。

その対価として私たちはお金を払っている。元気づけてくれてありがとう、勇気づけてくれてありがとう、幸せな気持ちにさせてくれてありがとう。
感謝の気持ちはアイドルもファンも同じ大きさで対等に持っておかなければならない。と思う。

そこに「お金払ってるんだから」とか「こんなに全てを捧げているのに」とかいう自我が出てきてしまった時が、離れる潮時なんだろうなと思う。対等に感謝を伝えあっていたはずなのに、上から目線になってしまったらその瞬間からその均衡は崩れる。
してほしいことがあるなら声をあげなければ伝わらないけど、「こうなってよ!」じゃなくて「これもみたいな」と伝えるべきだし、その声が大きくなってもアイドルが変わらないのであれば意志を持ってそうしているはずなので、変わらないところも愛するか好きだった思い出を大事にして離れるかしかない。

SUPER EIGHTの「生きてる僕ら」という曲の歌詞の中に、
「綺麗さっぱり忘れてしまっても 僕らは君の何処かで光るから」
という歌詞がある。
大好きなもの、大好きな人が過去の思い出になっても、大好きだったことも忘れてしまっても、ふと思い出した時に「好きだったな」と心を温めて力になれるから。懐かしいな楽しかったなって過去を思い出して成長した今の君に眩しく光る思い出になるから。
そんな思いが込められてるような気がして、すごく好きな歌詞。
好きなところを挙げていけばキリがないほど素敵なこの曲は、オタ活をする我々へのアイドル側からのアンサーとしてすごく適しているのではないか。

「夢のなかで僕らは生きて いつか夜に魔法が熔けて 思い出したように大人になってさ 多くのことを忘れてしまう
それでも確かに僕らは生きて こんな夜に魔法をかけた 綺麗さっぱり忘れてしまっても 僕らは君の何処かで光るから」


アイドルが生きているのは夢の世界で、ファンもまたその夢を見て生きている。ゆめうつつの状態でアイドルはファンに魔法をかけて、魔法にかけられたファンはその夢の虜になる。
その魔法が溶けて、夢を見ていた時間を取り戻すかのように現実世界を必死に生きて、いつしか夢を見ていたことも魔法にかけられていたことも朧気になるほど時が経つ。
それでも、かつて見ていた夢の中でアイドルは生き続けているし、魔法をかけたこともかけられたことも、思い出として当時の自分の糧になっている。絶対に。夢を見て、魔法にかけられて、楽しかったなと思えるならば、たまに思い出してこれからの未来も君を救う光になると約束する。

こんなにやさしくてあたたかいラブソングがあるか。
全てがこうあればいい、と思う。どんなアイドルもどんなオタクも、ふと立ち止まって振り返った時にお互いを思うあたたかい気持ちが残るような夢であって欲しい。
計り知れないほど深い夢の中で必死にもがいて生きている彼らだって、この薄汚れた世界で普通の顔して必死に生きている私たちだって同じ人間なのだから、この夢の中だけは、お互いへのリスペクトとやさしさと謙虚さで溢れるあたたかい世界であるべきだ。

ここに優劣はない。どちらが幸せでどちらが不幸せなんかない。ついつい上から目線になってしまうこともあるかもしれないけど、どうかこの思いを忘れないで欲しい。きっと今感謝より自我が上回ってる人だって、始まりは必ず対等に感謝を持っていたはずなのだから。今からでも遅くない。この夢を幸せな夢にするのは、アイドル側だけじゃなくて貴方の行動で変えられる部分があるはず。夢はどれだけ深く潜っても夢なのだから、潜りすぎると覚められなくなるし、ふわふわと心地よく浮かんでいるくらいが丁度いい。
対等に、自分の人生で数ある中の星のひとつとして輝いてくれていることを忘れず応援することが、アイドルもファンも苦しくならずやさしくあたたかくなれる心の保ち方なのかな、と思う。

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