江戸の侍は説教が煩い
『文字の知画』からさらに一題。今度の人物は、侍である。利用したデジタル画像は、国立国会図書館で公開されているものだ。(画像リンク)
まず画像を眺めよう。一人の侍は、足を止めずに前へ進んでいる。「さぶらい」という四文字で構成されたイメージは、はみ出した二本の刀がとりわけりっぱに見え、人を従うような堂々としたいで立ち姿だ。
侍には、まず狂歌が一首添えられている。
異名(ゐめう)をば、鬼(をに)とよばるる、ものゝふの
人に応対(おうたい)するも三つ指
「鬼」やら、「もののふ」やら、たしかにそう想像したくなる侍なのだ。しかしながら、そのような彼らも、じつは親指、人差し指と中指を床につけて礼をする(「三つ指」)という礼儀正しい男たちなのだ。この落差はまず一つ意外な思いをさせてくれた。
さらに、そのような侍の発した言葉を耳を立てて聞いてみよう。さらに飛んだ期待はずれだった。
こりやゝゝゝ、かく内、せんこく身どもがまぐろのさしみでいっぱいたべたとき、そのほうには見せたばかり、のませたくはおもつたれど、さけがすくないから、わざとそのほうにはのませぬ。さだめし心のうちには身どもをうらんでおるであろうが、そのほうもぶしのはしくれ、わずかのはしたざけのみたいと、みれんらしくおもひもいたすまい。なんとさやうであろうがや。
「こりやゝゝゝ、かく内、先刻身どもが鮪の刺身でいっぱい食べたとき、そのほうには見せたばかり、飲ませたくは思つたれど、酒が少ないから、わざとそのほうには飲ませぬ。さだめし心のうちには身どもを恨でおるであろうが、そのほうも武士の端くれ、わずかのはした酒飲みたいと、未練らしく思ひもいたすまい。なんとさやうであろうがや。」
語られているのは、後ろに付いている奴(やっこ)への縷々とした説教だった。それは、今しがた二人が経験したひと時をめぐるものだった。鮪の刺身や酒、侍は一人で堪能して、奴には一口もさせなかった。そこへ、不満を顔に出した奴を相手に、反省は一言もしないで、かえって「あなたも武士だろう」と延々と続いた説教だった。
ここで使われている言葉の数々は、今日とすこしずつずれがあって、読んでいて興味深い。「さぞかし」ならぬ「さだめし」、「はした金」などは聞くから「はした酒」は分かりやすい、「未練らしい」となればきっと「未練たらしい」「未練がましい」と合点し、「はしくれ」も他人に使うといかにも尊大に聞こえる。どれもすぐ答えが浮かぶが、なかなか口からは出てくることがない。それだけに楽しい。
説教の相手は、後ろに付く「奴」だった。その彼はこれにしっかりと応対した。また読み進めたい。