擬人の徒然草
ここに、いかにも騒がしい一枚がある。大きな屋敷の中で、大の男たちが派手に喧嘩を繰り広げている。一見したら、庖丁を振り回し、人の目になにかを突きさし、大きな板で相手を押さえ込んだりして、なんとも恐ろしい。このような場面を余裕綽々に見据え、おもむろに指図を出すのは、袴を身に纏った人物だ。その袖に書き入れられた文字を目を凝らして読むと、思わず吹き出してしまう。「つれゞゝくさ」とあるのだ。
これは、黄表紙『手前勝手御存商賣物』(14ウ~15オ)に収められた最後の見開きページだ。作者は、あの山東京伝である。この一冊をもって、京伝は絵師としてのみではなく、作家としてもその名を世に広めた。
「徒然草」に引かれて、人物それぞれに書き込まれた名前を読んでみよう。そばで控えたのは、「せつ用(節用)」、勝ち組の四人は、右回り順に、「古状ぞろへ(古状揃へ)」、「しやうばいおうらい(商売往来)」、「用文しやう(用文章)」、「ていきんおうらい(庭訓往来)」。対して負け組の四人は、同じく右回り順に、「赤」、「黒」、「下りゑほん(下り絵本)」、それに人物の傍に「よみほん(読み本)」とあった。
続いて、人物について書き込まれた口上を読んでみよう。勝ち組の人々の口からは、「用文章が筆先、見ておけ。」(用文章)、「削毛ついでに、こうぜひ表紙もやらかさう。」(庭訓往来)とある。対して、負け組からは、「赤恥かくといふこと、この赤本が始まりなり。」(赤)、「もう歪は治った々々。」(黒)とあった。そしてこのようなセリフに引かれた改めて男たちの行動を見詰めると、「用文章」が手にしているのは、たしかにただの筆であり、目指したのも目ではなくて、顔全体を対象に落書きを書き入れるのであり、「読み本」を押さえた「庭訓往来」は、武器として刷毛を口に咥えている。そして庖丁はいかにも物騒だが、押さえる板は紙の端を裁断するための道具だと合点ができる。
「徒然草」に添えたのは、口上ではなく、かれについての状況解説なのだ。「徒然草は、唐詩選、源氏物語の仰せを受け、地本どもに下知する。」と読める。さらに偉い人物が後ろに控えているのだが、代わりに「徒然草」がここに登場したのだ。
この黄表紙の一冊の主人公たちは、商売の種である書物であり、そのようなもろもろの書物が人間に化けたのだった。擬人という手法は、中世の、とりわけ室町小説の常套だった。それが鼠や馬、牛などの動物から草木に至り幅広く、そしてここ江戸の時になって、ついに書物まで登場した。発想にはあい通ずるところがあるとはいえ、やはり特別の感じを受ける。さらに、ここに登場した大勢の人物において、すべて特定の種類、ジャンル、題材の集合の書物に対して、「徒然草」一人のみ一冊のタイトルなのだ。江戸の読書人にとって、『徒然草』はどこまでも別格なのだ。