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誰にでも通用する人生のマニュアルがあるなら、社会問題なんてとっくの昔になくなってますよね。

時事ネタですが、この間の都議会選挙も、だいぶ投票率が低かったようですね。それは政治に自分の意見を反映させようと思っている人が少ないということだと思いますが、それは現状に大きな不満がないということでもあると思います。

思えば、なんだかんだ言われてますが、いい時代ですよね、今は。少しは歴史を学んだ者として、今の時代に生まれてよかったと心から思います。一昔前までは、自由を謳歌できるのは、ほんの一部の人たちだけで、多くの人たちは、今と比べたら考えられないような不自由な生活を強いられていたりしましたから。もはや、宗教による教化や、体制に不満を抱かないような価値観の押し付けという、歴史の流れに逆行する手法は、功を奏さないのではないかと思います。また、そうであることを切に望みます。

ただ気がかりなのは、いつの時代も、自発的に何かに取り組むことをしない人がいるといことです。最近もブログのほうで書きましたが、そういう人たちにとっては、やはり何かしらの答えや指針が示されて、それに従っているほうが楽なのでしょう。ポピュリズムとか、今主に社会に対して文句を言っている人というのは、ほぼその資質の強い人たちですよね。誰かの意見を鵜呑みにしやすいので。残念ながら、言われたことをただこなすだけの人が富などを手に入れたりするのは、どんな社会制度でも無理なのではないでしょうか? 労力以上の対価を得るなんて、簡単なことではありませんから。

人々の求める価値を提供できた者が、それに見合う対価を得る。そして、その価値というものは、誰かが統制・調整できるようなものではありません。いわゆる、左側の人たちは、それが可能であると思っている人たちということでしょう。この点は、人の思惑なども制御できると考えている節があるので、随分短絡的だなぁ、と思う次第です。個人個人が価値に基づいて判断をする限り、システムでどうこうできるものではないと、私は考えます。

社会問題とされているもののほとんどは、そういった個人が時代や社会情勢などの変化に対応できていないといったことに端を発しているように思えます。ということは、その問題を解決するためには、問題を抱えている当人が自発的に考えて行動する以外に方法はないということでしょう。ただお金を給付するだけとか、特定の考え方や価値観を信じ込まさせるという方法では、いつまでたっても、おんぶにだっこ体質の脱却は果たさせないままでしょう。まあ、信者を増やしたいという目的のある人にとっては、都合がいいことこのうえないのでしょうが……。




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