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中国ビザ申請──竹のカーテンを越えて
中国が沿岸に分厚い"竹のカーテン"を降ろして以来、中国渡航のハードルは依然として高いものになっている。特にネックなのは、やはり観光ビザの取得だろう。
現在第三国を経由、いわゆるトランジットの過程において中国を利用する場合で、停留時間が144時間以内ならこれらのビザ利用は免除されているが(巷ではトランジットビザという表現があるが、別にそういうビザが発給されるわけではない)、訪問できる都市などに限
機内誌を旅する──"辺境中国"を作ったもの
先日、『辺境中国vol.2』を無事に入稿した。大学の日程もあり、危うく新刊を落としかねない状況だった故、普段よりも安堵出来た。
しかし今思ってもあの個人誌が案外好評を博していることは驚きである。尤も、処女作のvol.1のテーマは中朝国境地帯訪問であり、凡そ朝鮮趣味者などがドシドシ買ってくれたのだろうとは思うが──もちろん、純粋に本誌に興味を持ってくれた読者もいると信じたい──。
さて、『辺境
広島──「日常」の中の”ハッキョ”
日本には様々な学校があるが、その中でも日本国内で生活する外国人のために設置されている学校というのが幾つも存在する。その中でもひときわ有名なのがいわゆる朝鮮学校だろう。朝鮮学校とは在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)が運営に関与する民族学校であり、特に近年、安倍政権以降では全国高校の無償化から対象外とされるなど、それを取り巻く環境は厳しい。
今回私はその朝鮮学校に縁があって訪れることができた。訪れた
万里鏡が見る未来──「脱軍事化」の宇宙開発に向けて
27日夜、人工衛星打ち上げを予告していた朝鮮は早速ロケットを打ち上げた。結果的にこれは一段目の不具合により爆破され、国営朝鮮中央通信も打ち上げ後から数時間で失敗を発表した。
今回は(5月のnoteに困っていたし)このロケット発射に関する備忘録と私見を簡単にまとめていこうと思う。あくまでも個人の書き散らしなので間違っている点などはご容赦いただきたい。
新たな液体燃料方式、ロシアの関与はどのくら
香港──直都のネオンはかく語りき
かつて大英帝国の時代に栄えたこの都の一番の問題は、その人口に見合わない土地の狭さだった。
この地に流れ込んだ中国人の生命力は、この土地問題を解決するために、ひたすら上に上に都市の増改築を繰り返し、そしてそれでも余りある生命力はネオンサインとして横へ横へと伸び続けた。
しかし2000年代に入り、中国大陸が21世紀社会主義の名のもとに現代化され始めると、あの生命力に満ち溢れた香港も14億の荒波の
今こそ日朝首脳会談を考える
Twitter(現X)を眺めていたら衝撃的な内容を韓国メディアが報じていた。『[속보] 김여정 "日 악습 털어버리면 총리 평양방문 날 올수도"』日本側が態度を改めれば、日本の総理が平壌に訪問する日が来るというような内容で、日朝首脳会談に向け、朝鮮高官が具体的な言及をしたと見ることもできる。
私はチョソンクラスタとしても、日本政局オタクとしても末席中の末席ではあるが、自身の備忘録がてら、この
帰郷──寒空の騒がしき夜
あと3ヶ月で就職する友人らとの新年会を終え駅に着いたとき、上りホームの蛍光灯は完全に消え、自動販売機の灯りだけがホームのアスファルトを照らしていた。時計を見やると0時を回ろうかとしていた頃だった。
ホームに降りたのは10人を少し超えるくらいだろう。駅の規模にしてはえらく閑散としているこの時間が一番好きだ。社会も、街も眠りにつこうとする静かな時間に、私は家路に着く。
駅を出るとすぐのところに
私は何者になれたのだろう──或いはまだそれを考える立場にない
私は何者になれたのだろう。半ば中途で留学から帰ってきて、新たな大学に編入するまでの半年間──さらにいえば大病を克服してからくらいか──ずっとこの疑問をどこかに持っていたように感じる。
日本に帰ってきて、講演をする機会を得たり、色んな方に知り合えたり、遂に個人誌を刊行して、当初思ったよりはるかに大きな成果を得て2023年を終われた。
対して24年が始まって10日あまり。去年のような狂騒は嘘の
ハガキの中の2023─年賀状と夜は更ける
スーパーや書店でインストアレンジのクリスマスソングが流れる頃、毎年恒例となっている年賀状の入稿が終わった。ここ数年はいつもクリスマスの時期に年賀状が届いては、宛先を確認して本局に持っていく準備をするのが定番になりつつある。
しかし今年は年賀状の宛先が一気に多彩になったな。従来私の年賀といえば同級生が中心だったが、今年はお世話になった諸先生方や新たに知り合った方々を中心に、宛名欄を通じて世界が
李克強同志安らかに。あの中国の日々よ
休学してからというものの、どうしても昼頃に起きる毎日が続いている。今日の昼頃起きてスマートフォンを見てみると、やけに多いLINE通知が目立って気になったが、すぐにその答えがわかった。中国の前国務院総理、李克強が急逝したという。68歳、余りにも唐突な最期だった。
李克強は文化大革命終了後、当時働いていた鳳凰県の主席として高考を通過、北京大学法学部でもその才覚を示し、エリート党員として瞬く間に出
あの懐かしき1年に思う──江沢民の葬送ラッパ
早いもので私が中国に旅立ってからちょうど1年を迎えた。去年の今頃、飛行機から見えた中国大陸は赤茶けた不毛地帯だった。
今思えばこのコロナ禍で中国という国は大きな転換期を迎えた。新型コロナウイルスが流行する前、中国の経済的・国際的な力は強大であり、将来性のある国だと思われていた。今当地に留学している人の多くはその時代のイメージを中国に持ち、彼の国へ旅立ったのである。もちろん私もその1人だった。