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【歳時記と落語】空を飛ぶ

この辺り、歳時記としては特に何もないようなので、何の日かということで行きたいと思います。

12月17日は、ライト兄弟が初飛行をした日です。兄弟は1903年の今日、ノースカロライナ州のキルデビルズヒルズというところで、ライトフライヤー号で、人類初の操縦可能な有人動力飛行に成功したんです。この「有人」と「動力」、それから「操縦可能」が揃っているところが味噌なんですな。「有人」だけですと、これはグライダーによる滑空飛行でもええわけですし、動力飛行で無人で操縦できんでええんやったら模型でもええわけですからね。飛行機やないんやったら、飛行船も動力で動いていることにはかわりないんでっさかいね。

このライトフライヤー号、動力は12馬力やといいますから、ほんまに小さいもんですな。小型のオートバイ程度の馬力ですな。まあ、この日、実際に飛んだのも、1回目が12秒で約36メートル、一番飛んだ4回目でも約1分で約260メートルです。

しかし、それが数年後の第一次世界大戦では、飛行機が空中戦を演じるまでに発展する。

一度壁を越えてしまうと、技術というのは次の壁まで急速に発展するもんなんでしょうな。

落語にもちょいちょい空を飛ぶという話はあります。

ここに居りました男、なんぞ商売でもいうんで、鷺をとって売ろうと思い立ちます。

ふけ田に鷺がおるところへ行って、遠くから「さーぎー」と声をかける。すると、鷺が、「何や、人間が呼んどるな。けど、まだまだ遠いなあ」と思う。そこで、段々近づきながら、声をちいそうして呼んでいく。そうすると、鷺はあんまり頭がようないさかいに、近づいているとは思わん。それで傍まで寄っていって、ぱっと捕まえる。

よっぽど、こっちの方が頭が悪いですが。

そこで、知恵の回る奴が、ここらやったら円頓寺の池に鷺がようさんおる。なんでも中に一匹、交替で番をしているやつがおるらしいんで、そいつをごまかせたら、捕まえられるかもしれん、と教えてやります。

それでこの男、夜中に円頓寺へ行ってみると、確かに池にようさん鷺が寝てる。寝てるいうても立ったまま寝てるんですが。さて、この鷺たちに災難やったのが、その日の当番がえらいズボラなやつやったことですな。すっかり眠ってしもうとった。

おかげで、大根でも抜くみたいに採れる。男は採った鷺の首を帯に通して、しまいに身体のまわり鷺だらけにしよった。

そうこうしてると、東の空が白んできて、鷺が目を覚ましよった。びっくりしたのは鷺ですな。知らん間に捕まってしもうてる。ここままでなるか、と皆で一斉に羽ばたきますと、男共々中天高く舞い上がります。

今度は男が慌てる番ですな。どないしたもんかと思うておりますと、目の前に柱のようなもんが見えたんで、それにつかまりまして、帯をほどいて鷺をみな放します。

やれやれ、と落ち着いて周りを見渡しますと、石の鳥居が見える、亀の池が見える。

「ああ、これは天王寺さんやな。しかし、それにしては五重の塔が見えへんで。ひゃー、これやがな」

男がしがみついたのんが、四天王寺の五重の塔、そのてっぺんの九輪やったんですな。

下の方では、五重の塔の上に男がしがみついてるというので、どんどん人が集まっている。

さあ、どないして助けよか、と相談が始まります。

お馴染みの「鷺とり」です。

空を飛ぶというと、日本でも「飛行器」という名前で、独自に研究をしてた方がおられます。二宮忠八というお方で、なんでも模型では動力飛行まで実現してたんやそうです。

実物の作製まで後一歩、ただどうしても動力の目途だけが立たなんだ。そこで、当時陸軍病院に勤めておりました関係で、陸軍に「飛行器」の開発を上申しますが、断られてしまいます。そこで、忠八は「飛行器」の研究開発費を稼ぐために、実業界に転じます。大日本製薬株式会社(今の大日本住友製薬株式会社)に入社し、支社長にまでなります。そうして、資金ができた忠八は研究を開始しますが、直後、すでにライト兄弟が飛行に成功していたというニュースが伝わります。時に1908年です。以降、忠八は「飛行器」研究を止めて事業に専念します。

晩年は、飛行神社を設立して自ら神主となり、飛行機事故での死者を弔いました。

大阪の中崎町に、食卓塩で有名な「マルニ株式会社」の本社があります。
ここの門には、その社名に並んで「飛行神社大阪連絡所」と書かれています。
実は、「マルニ株式会社」は1909年に忠八が作った会社です。同社のHP内には「飛行神社」のHPも設けられています。

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