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閉店寸前だったレストランの来客数が、しながわ水族館を超え50万人になった話

【ケーススタディ #1】 T.Y.HARBOR

長く愛されるお店のつくり方、そのケーススタディの1回目は、タイソンズのフラッグシップでもあるT.Y.HARBOR。1997年創業、決して交通の便がよくはない天王洲の運河沿いに、今も多くの人がこの店を目指してわざわざやってきます。その歴史とあわせ、長くつづく成功のポイントを考えます。

そもそもT.Y.HARBORとは

冒頭からごめんなさい…タイトルちょっと盛りました。年間50万人というのは、正しくはT.Y.HARBORだけでなく横のブレッドワークスとあわせた数字です。とはいえ、同じ区内にある水族館より多いってすごくないですか???(しながわ水族館は18年に48.7万人、T.Y.HARBORとbreadworks、つまりタイトル写真に写る店全体で19年に50.0万人)

T.Y.HARBOR(以下TY)は、規制緩和で小さな会社でもビール製造免許の取得が可能になりはじまった、いわゆる「地ビール」ブームのなかで97年に生まれました。東京ではアサヒビールによる隅田川ブルーイングに次ぎ、独立系では最も古いビール醸造所です。

醸造所を併設したレストランを「ブルーパブ(Brew Pub)」といいますが、クラフトビール業界では日本一のブルーパブだという声もあるとか(自分が言ってるんじゃないですよ)… 席数は増えつづけ、運河に浮かぶ「リバーラウンジ」を含めて430席もある大型レストランです。

その売上は、最近でこそさすがに高止まりしているものの、開業から20年以上伸びつづけました。タイソンズが目指し、このnoteのテーマでもある「長く愛される」を体現し、東京で最も長く成功している大型店の1つでしょう。語ることが多すぎてちょっと長くなりますが、その秘密を語ります!

■目次
1.天王洲の歴史と倉庫ができるまで
2.ティー・ワイ・ハーバー誕生
3.迷走、そして荒波の再出発…
4.復活、そして成長のループ
5.離れた立地でも、人が来る理由

1.天王洲の歴史と倉庫ができるまで

「天王洲ってどこ? 羽田へ行く途中に通るけど…」

これは我々にとって永遠のテーマ。でも実は品川駅港南口から歩いて15分の自然にできた島です。え、東京湾に自然の島?と思うかもしれませんが、もとは東海道品川宿を貫く目黒川の河口にあった「洲」(土砂が堆積してできた小さな島)で、漁師が近くの海中から牛頭天王(ごずてんのう)という神様のお面を引き上げたことから、江戸中期にこの名がつけられました。

品川宿

歌川広重の東海道五拾三次「品川」を目の皿のようにして見ましたが、ない!どこにも描かれてない! でもこのすぐ沖合にあったはず

黒船来航後の江戸末期には第四砲台として整備されることになり、今も第一ホテルの場所に史跡が残ります。さらに海岸寄りにもう1つ台場があり、そこはいま台場小学校となっています。台場はお台場だけではないんですよ。

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陸の濃い色のところが東海道沿いの品川宿、そして目黒川が現在と違い蛇行して第四砲台=天王洲の方向に流れています(地図は国土地理院蔵)

やがて埋め立てが進み大きくなったこの島に、祖父の寺田保之助が土地を買ったのは戦後のこと。彼はそれまで経営していた質屋をやめ倉庫業に進出するため、空襲で被害を受けた蒲田にある工場の鉄骨を買い取り、この地で組みなおして倉庫を建てます。その1つにTYは入っています。

2.ティー・ワイ・ハーバー誕生

しかしそれらの倉庫は、実はバブル期に取り壊される一歩手前にありました。80年代終わりから、倉庫や工場ばかりだった天王洲で地元企業が集まって再開発をはじめ、通過するだけだったモノレールの駅を誘致、ホテルやオフィス街へと大変身を遂げます。お台場ができるはるか前、東京のかっこいい湾岸といえば天王洲アイルだった時代があったのです…

【同じ場所から写した天王洲、背景の変化に注目!】

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その流れで倉庫を壊してビルを建設する計画が父により作られましたが、役員会の反対で中止に…父は生き残った倉庫にヨウジヤマモトなどクリエイティブなテナントを誘致しつつ、天王洲を盛り上げるため外から人をよぶレストランがほしいと考えます。時はちょうど地ビールが解禁、95年に第一号のエチゴビールが誕生したばかり。彼が好きな米国西海岸、そこにあるようなブルーパブを、という想いでTYは誕生します。

諸説ある店名は…父はその頃I.W.HARPERのボトルに、自分のイニシャル「T.Y.」をもじってT.Y.HARBORというオリジナルラベルを貼って遊んでいました。ところがそこから店名をとると家族の夕食で突然カミングアウト。「えっシェフでもないのに自分の名前つけるの?」と子供心に驚いた記憶しかありません。

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開業時のパンフレット。よく読むと、え?"Never ask for a beer"…ってビールは絶対に頼むな…ですか?? ちなみに人物画を描いたのはスマイルズの遠山さんという事実はほぼ知られていません…

3.迷走、そして荒波の再出発…

そんなこんなでスタートしたTYですが、オープンから苦しみます。理由は簡単。父がこれを読まないことを祈りますが、いわゆる経営多角化で飲食に手を出して失敗する、典型的なケースです。

開業時にバイトしましたが、鶴の一声ではじめたものの父はオープニングパーティーしたあとの運営に関心がなく、任命された責任者も飲食事業に強い興味があるようには見えません。ノウハウもなくコンサルを雇ってスタートしたものの、あの環境でランチはなくディナーだけで日曜休み… 当時の業界は週休1日も当たり前だったので、楽に運営できる状態のできあがり…

売上は1年目が9ヵ月で1.2億円、翌年は2.4億円まで上がりますが、コストが高すぎて8月以外すべての月で利益が出ません。そして後に自分が見つけますが、責任者が会社を去り放任状態となった経理責任者がやりたい放題、8月に出た利益も賞与として全部分配してしまう始末(しかも自分に一番多く…)まあひどいもんです。

さすがにこのままではいうことで、父は人づてにジョセフ・スーチバヌを紹介されます。彼は当時、六本木などで飛ぶ鳥を落とす勢いだったイタリアン「イル・フォルノ」をサンタモニカでやっていたオーナー。そして彼がデービッド・キドーを連れてきて、立て直しに向け動き出します。

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若き日のジョセフ・スーチバヌ。ルーマニア生まれの米国人。いま東京にイル・フォルノはありませんが、自分のメンターでもあります。

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99年、若き日のデービッド・キドー。ジョン・トラボルタに似てるとか言われ、モテて絶好調だったころ…

ただ今度は、マネジメント経験がなく気負った状態のアメリカ人たちと既存スタッフの間で、ガイジン対日本人の構図が生まれます。ついには傷害事件一歩手前の状態までいくという、最高に最悪なタイミングで自分は入社しました。(そのあたりは「飲食業ほぼ未経験の自分が、東京を代表するレストランを経営する物語」も参照)

レストランと小さなデリ1軒ずつの会社に、本社だけで外国人シェフ2名・経理/管理3名・アシスタント4名・ビール営業3名、と自分。店には料理長もいます。経営など知らなくてもちょっと人が多いんじゃ…と思える状況の一方で、コミュニケーションがひどく誰も全体のことなど考えません。

自分が入って1週間後の99年4月、TYはデービッドたちのコンセプトで再オープン、当初はディナーのみ週7日。5月、グチャグチャなままランチ開始、現場から悲鳴があがる。7月、新しい支配人が着任して力技で改善をはじめ、やっと落ち着きはじめます。

4.復活、そして成長のループ

そのあたりから外国人や帰国子女などの間で口コミが拡がり、夏にかけて調子が上向きます。すると好循環に入り、不満があったスタッフたちも次々と去り、2年目には3.9億円、3年目には4.6億円と業績は順調に伸び、不採算なことを全部やめた会社はついに黒字となりました。

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毎年恒例だったアメリカ独立記念日パーティーの様子、03年


そこからもトントン拍子。売上はサブプライム後の09年と改装休業した15年に少しだけ下げたのを除き、20年伸びつづけて開業時から約10倍になりました。最近はさすがにキャパ一杯なうえコロナでどうしようもありませんが、依然として高いレベルにあることは間違いありません。

「オレだったら○○○○万円売るな」

コロナで話題の某飲食経営者が以前TYに来てそう言って帰ったそうですが、時間がかかったとはいえそれを軽く超える売上になってますよ、○○○さん。

来客数もデータが残る01年で14.6万人だったのが2019年には30.0万人、10年に横にできたブレッドワークスとあわせてちょうど50.0万人となりました。単純計算で1日1400人弱、空港やパーキングエリアならともかく、山手線外にある街場の店としては相当に多い数字でしょう。

どうして成長するのか?

でもどうして成長しつづけるのか? 読者の方もそこを知りたいですよね。自分が20数年この店をやってきて思う最重要ポイントは、ポテンシャルがある場所を選び、それを活かせるコンセプトの店を「つくる」こと、そしてその魅力をうまく引き出しつづけ「育てる」こと。それにより、店は勝手に成長の無限ループに入ります。

じゃあ今あるお店をどうしようって思っている人には役に立たないじゃないか!と言われるかもしれませんが、2度目のごめんなさい。小型店や個人店はともかく、大型店をつくってきた自分としては、つくる段階で間違えないことは、育てることよりも大切にしているポイントです。(詳しくはまた【長く愛される飲食店のつくり方】シリーズにて書きたいと思います)

なので、父から店を引き継いだだけの自分は、あの場所で飲食店を開こうと思った父のセンスに感謝です。ただ、経験がなく育て方を知らなかっただけ。また、運営していた前マネジメントはその魅力を引き出せず、デービッドたちは人心を掌握できずに、店はつぶれかけました。

自分は素人でしたが、ジョセフやデービッドたち業界のプロから西洋流のレストランスタンダードを学ぶ一方で、必死になってチームを回しつつ、TYで過ごす時間の魅力を深め、世界観を伝えつづけてきました。そして店を育てるべく、好業績でも常に投資をして、絶え間ない進化をさせてきました。

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00年、シドニーでデービッドに学んでいる… のかな…

5.離れた立地でも、人が来る理由

顧客をわざわざ連れてこないと商売が成り立たない、天王洲という立地で店を育てるにあたり、自分が力を入れてきたのは以下のポイントでした。
① オンリーワンであること
② 幅広い客層をめざすこと
③ 絶え間ない投資と進化

① オンリーワンであること

「ここ東京じゃないみたい」ー静かで落ち着いた夜景を見て、そう言われることがあります。「いや皆さん知らないだけで、これも東京なんですよ」と答えます。江戸時代には運河が張り巡らされ、水の都だった東京。銀座などで運河は埋め立てられ消えてしまいましたが、残っていたらどれだけ美しい街だったか… でもTYには貴重な東京の水辺と、豊かな時間が残ります。

今でこそ増えましたが、23区で水をここまで近くに感じられる店はTYと飯田橋のカナルカフェぐらいではなかったでしょうか。近くのビルはみな運河に背を向けていますが、TYでは正面にあります。テラス席を増やし、運河沿いにカップル席を並べ、冬でも暖かく過ごせるようにし、店内もできるだけ外の空気を感じられるよう工夫してきました。

ここで飲んだら気持ちいだろうなあと思う場所で、店内の醸造所で造られる新鮮なビールを飲む。空の広さや夕焼けの美しさを感じ、雨が近づけば空気が変わるのを感じる。この場所はまた来たくなる何かを持っています。そんなオンリーワンの存在を磨きつづけることに力を入れてきました。

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年に何日か、美しい夕焼けがすべてを真っ赤に染めます。最高の瞬間!

② 幅広い客層、幅広い使い方

圧倒的なライフスタイル感があっても、離れた立地にある大型店を埋めるには、お店がとがりすぎることなく多くの人に好かれないといけません。

水辺の環境やビールという世代を選ばない飲み物、そしてカジュアルさや価格感をバランスよく成り立たせ、外から色々な人が目指してくれるようにしてきました。また地域の人たちも、近隣のオフィス需要に加え、00年代からタワーマンションが急増して住民も多く来店するように。(ちなみにマンション販売のパンフには、ほぼ必ずうちの写真が使われます)

その結果、「万人受けする」ことが難しいこの業界で、TYは都内でもトップレベルで客層が広いレストランとなりました。老若男女、赤ちゃんも含めて家族3世代で来られれば、学生でも大人でも、また外国人エグゼクティブの接待、デート、合コン、男子会や女子会(いまの時代にこの表現よいのかな?)など何でも対応できる、懐が深いお店です。

③ 絶え間ない投資とアップデート

一方、古くならずに効率的な運営とより良い環境をつくることを意識し、05年と15年に大きな改装を2回行いました。そのたびに厨房を拡げるなどオペレーション上の問題点を改善し、悪い席を減らしつつ席数を増やして、長期的視点から顧客満足と売上を上げる努力をしてきました。

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05年の改装では、厨房をゼロからつくり直しました…お金かかるんです

TY店内

そして完成したダイニング。今との違いがわかるかな?

またメニューも伝統とコンセプトを維持しつつ、常に進化させて時代に合わせ、飽きられない努力をしています。他にも、水の上で飲んだらもっと気持ちいいなと水上ラウンジを増設したり、朝から水辺を楽しめるようベーカリーを開けたり、天王洲に来る理由を色々と増やしてきました。そうした努力の積み重ね、それが20年の成長と50万人という数字を可能にしたのです。

そして、何より大切だったのはオーナーとして情熱を失わないことだったかもしれません。都心に店舗展開しても本社はあえて天王洲に残していますが、この環境に長年いて飽きたことがありません。それぐらい魅力のある天王洲、これからもその良さを伝えていきたいと思っています。

タイソンズの出発点であり、自分の店舗づくりに大きな影響を与えたTYのストーリーは、長くなりましたが以上です。今後は以下のテーマでもう少しコンパクトに進みます!のでこれに懲りず引き続き読んでくださいね。

次号予告:【ケーススタディ #2】 T.Y.HARBOR Brewery 
Brewery(ビール醸造所)という側面からみたTYを、他のビール会社社長よりは明らかに専門性が劣る自分が説明します(6月上旬予定)
次々号予告:【長く愛される飲食店のつくり方 #1】お店の軸づくり
飲食店をつくる前にしたい、アタマの体操 ーどんなお店をつくりたいのか? (6月下旬予定)




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