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舞台照明のデザイン 番外編 自然光にゃ勝てないのよね そして、Fについて
番外ばっか書いてるなよ
とか言わないで(汗)
理由があります。
ちょっと次のものを動画でお送りした方がいいのかどうか、悩んでいて、手間取ってるのよ。
ものはあるんだけどね。
「シーンの正体」
っていうタイトルも決まってるのに。
なので、いましばし。
さて、
舞台照明なんて仕事をしていると
ついつい、自然光で見たものを再現出来ないかしら。
なんてことを考えたりする。
舞台というものは、そこには現はなくて、あるのは幻ばかり。
何かの真似みたいな偽物を見せて、本物だって言い張るようなもの。
ないけどある、あるけどない
舞台照明なんてものは、それの極致みたいなもので、あるけどない。ないけどある。
みたいな代物。
で、僕ら舞台照明が使うのは、観客の記憶。
観客が頭の中に持っている引き出しの中身を想像して、それに近いものを置いてみたり、まったく違うものを置いてみたりする。
目論見の大切さ
デザインというからには、目論見や企みがあり、なんとなく置いたものをデザインとは言わない。
特に、舞台照明は無いものをそこに置くわけだから、意図や企図ありきのものだ。
少なくとも、僕にとってのデザインとはそういうものだ。
意図しない方向に取られるのは、技術の拙さの問題でデザイナーとしての失敗だ。
広告デザインなどでも、本来の意図と違うとかいうダサいデザイナーもどきがいるけど、三歳児の絵であったとしても、そんな言い訳を許すのはデザインじゃない。
広告のコピーでもなんでも、意図を針の穴に通す精度で出せないなら、デザインと呼べない
念の為、言っておくが、僕が失敗しないわけではない。
むしろ、意図に沿ったことが出来ているときの方が少ないかもしれない。
観客が意図以上のものを汲み取ってくれることも多い。舞台の場合は、演者ありきのものなので、こちらの意図は、演者の意図でもあるときもあるし、余計なものであるときもある。
舞台は世界すべてと等価値だ
舞台上にあるものだけでなく、社会状況まで含めた加減乗除が働いて、そこにあるものを観客は受け取る。
誰かの力ではない。
舞台作品は、そこにいる観客を含めたすべてでやっと完成するものなのだ。
そこに混ざるピースとして、自分のデザインがどういう効果をもたらすのか。ってことを考えないとならない。
Fってなに?
100%を表すことば。
俗に、フルゲージとか言われたりする。
つまり、スポットライトが出せる明るさの一番明るいところ
(厳密には限界はもっと上があるけど、それは特殊)
100V 500Wの電球なら、
100Vで5Aの電流を流して、
フィラメントを点灯した状態。
ま、ややこしいことは置いておいて、フェーダーをめいっぱい上げたところ
なんで、急にフルの話?
自然光の明るさの「抜け」みたいなものは、スポットライトで出そうとすると、とても難しい。
そんなことを考えていて、例えば夜の月光とかでも、可能な限りフルに近いところで作りたい。
でも、暗さも出したい。
ということで、色をのっける。
そして、色を乗っける、フィルターを入れると色がつく。
ただ、ゲージを切っちゃうとどうにも中途半端な赤みが出るのよね。
それが嫌だよな。
って、思って。っていう話。
フルまで上げると変化がきれいなんだよね
ストロークが長くなるから、その分変化がきれい。
でも、これも好みの話。
いろんなゲージが混在しているシーンを送ると、どうしてもばらつきが出るし、段で明かりを作っていた癖があるから、あんまりパートに取ったりするのも好きじゃない。
0から100までの段階の変化が好きってだけなんだけど。
って、わけでまた次回
はい、番外続きでしたが、次こそは、進むと思います。
たぶん。
では、また次回。