ルートチャクラに立ち返る。
◎基盤的な物を見つめ直す機会は、現代社会においても不変的である。
人間は比較でしか物事を見れない。
真理に近い知識をベースにし、外れ難い思想を(体に宿す)インストールする事ができる。
ブレない体とブレない心みたいな所は、重要視しても良い。
◎それがどのように社会に寄与するのか。
例えば、整体に行って体が治らないというのは、おかしいと思えない人が一定数いる。
それが、感覚として分かるようになっていく。
感覚がわかるからと言って、体が痛くなくならない訳でもないので、勘違いしないように。
否定ではなく、向き合い方が変わる。
通う回数であったりとか、痛みとの向き合い方が変化する。
不変ではなく、流動的になって行く。
◎武術において。
何も変えたく無いという人の心は、武術にも出る。
人に技を見せる時、変様を恐れるのだと思う。
変化を恐れるのではなく言祝ぐ、幸運を祈る。
よりうまく技が出来ることで、より健康になったり、新しい自分を受け入れて喜ぶことが出来る。
自分自身の変化や、幸運を祈れない人は、武術にも向いてない。
荒々しい動きは心の荒さが出ていて、錆びついた剣の様に切れ味が悪い。
チャンバラごっこの如く棒を振り回す期間も時には必要だが、ちゃんとそこと向き合っていれば、卒業する時期が来る。