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社寺散歩|大直禰子神社(若宮社)|奈良|かつて大御輪寺と称した大神神社の神宮寺跡

今回の大神神社参詣で最後に訪れたのは、かつて大御輪寺だいごりんじと称した大神神社の神宮寺だった場所です。

境内図
大神神社HPより



大直禰子おおたたねこ神社

大神神社摂社

御祭神 
 
大直禰子命おおたたねこのみこと

大物主大神のご子孫であることから若宮社とも呼ばれます。

古事記によると、崇神天皇の御代に疫病が蔓延した際、天皇の夢に大物主大神が現れ「わが子の大直禰子に私を祀らせれば疫病は鎮まる」と告げられたことから、天皇は茅渟県陶邑ちぬのあがたすえむら(現在の堺市付近)で大直禰子命を探し出され、大神の神を祀る神主にされると、疫病は治まり国が平和になり栄えたと記されています。


本殿

神社なのに寺院建築…🤔?

現在の大直禰子神社本殿は、もと大神神社・神宮寺であった大神寺おおみわでらの遺構なのだそうです。柱の一部は奈良時代のもの。

神仏習合と若宮社

奈良時代、神仏習合の思想が生まれ神社の境内に神宮寺が造られるようになりました。
大神神社境内にも神宮寺として大神寺おおみわでらが建立されていたことが古文書からわかっています。
鎌倉時代、弘安8年(1285)南都西大寺の叡尊上人えいそんしょうにんによる大改修の際に寺名を大御輪寺だいごりんじと改められました。
大御輪寺では十一面観音菩薩立像をご本尊とし、大直禰子命のご神像と併せて祀られていました。
しかし、明治政府の神仏分離令により、ご本尊・十一面観音菩薩立像は廃仏毀釈を免れるため、慶応4年5月16日、親交が深かった聖林寺(桜井市)に預けられることになります。
現在、この十一面観音菩薩立像は天平仏の傑作として国宝に指定されています。


御饌石みけいし (久延彦神社遥拝所)

本殿前にある御饌石みけいしは、久延彦くえひこ神社に御饌みけ(神様へのお食事)をお供えする場所です。
また、久延彦神社が高台に鎮座するため、石段を登ることが出来ない方はこの場所から遥拝ができます。


琴平社

御祭神  大物主神

火難除の守護神


御誕生所社

大直禰子命がお生まれになった場所、磐座です。

安産の守護神


おだまき杉

古事記に記された大直禰子命の御誕生を物語る杉。

「三輪の七杉」のひとつ
*おだまき杉、*衣掛杉、*志るしの杉、
燈明杉、二本杉、飯杉、伐掛杉
(*のみ根株が現存)

おだまきの糸:伝説
『古事記』に記される恋物語。
美しい乙女活玉依姫いくたまよりひめのもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまち恋に落ちます。
姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床に撒き、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺すよう教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残った糸巻きは3勾(みわ)だけでした。さらに糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。
これによって若者の正体が大物主大神おおものぬしのおおかみであり、姫のお腹に宿った子は神の子とだと知るのです。
この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、このちを三和(三輪)と名付けたと言うことです。
この物語は大神神社の初代の神主である意富多々泥古おおたたねこ(大直禰子)の出自を述べるところで記されています。

糸巻きのことを苧環おだまきとも呼び、物語に登場する活玉依姫いくたまよりひめの苧環の糸がこの杉の下まで続いていたという伝説が残されています。


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その他、境内・境外の摂末社

大神神社には今回訪れることが出来なかった摂社末社が境内や境外にも多くあります。

境内...夫婦岩・大行事社・神坐日向神社・貴船神社

夫婦岩めおといわ
ふたつの磐座いわくらが仲良く寄り添っている形から「夫婦岩」と呼ばれています。大物主大神と活玉依姫いくたまよりひめの恋の物語である三輪山説話を伝える古蹟とされ、縁結び・恋愛成就・夫婦円満の霊験あらたかな磐座として信仰を集めています。

◇末社  大行事社だいぎょうじしゃ
御祭神
  事代主神ことしろぬしのかみ
  八尋熊鰐神やひろのわにのかみ
  加屋奈流美神かやなるみのかみ
三輪山麓には日本最古の市場である海石榴市つばいちがあったとされ、その後も三輪の市場が栄えました。特に三輪素麺の相場の神様として篤く信仰されています。2月5日に大神神社で行われる、三輪素麺の相場を占う卜定祭ぼくじょうさいでは素麺業者がこぞって参拝します。

◇摂社  神坐日向神社みわにますひむかいのじんじゃ
御祭神
  櫛御方命くしみかたのみこと
  飯肩巣見命いいかたすみのみこと
  建甕槌命たけみかづちのみこと
大物主大神から大神の神主となられた大直禰子命おおたたねこのみことの間の三代の神様がお祀りされています。神社の古絵図に「御子宮みこのみや」として描かれてあり、社殿が神社建築では珍しく北向きになっています。

◇末社  貴船神社
御祭神
淤加美神おかみのかみ
生命の根源である水の神、また縁結びの神としても信仰されています。


境外...率川神社・玉列神社・綱越神社・八阪神社・神御前神社・富士社・厳嶋社・檜原神社・豊鍬入姫宮

◆境外摂社  率川いさがわ神社
奈良市本子守町18番地
御祭神
  媛蹈韛五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと(御子神)
  狭井大神さいのおおかみ(御父神)
  玉櫛姫命たまくしひめのみこと(御母神)
御父神と御母神の間に御子神の媛蹈韛五十鈴姫命が両親に守られる姿でお祀りされているため、古くから「子守明神こもりみょうじん」と称えられ、安産、育児、成育安全、夫婦円満の神様として信仰されています。

◆境外摂社  玉列たまつら神社
桜井市慈恩寺383
御祭神
  玉列王子神たまつらのみこのかみ
相殿
  天照大御神・春日大神
大物主大神のお子神で、親神のご神徳を受けつぎ産業を興し人々の暮らしを守る神様として信仰されています。

◆境外摂社  綱越つなこし神社
桜井市三輪1168
御祭神
  祓戸大神はらえどのおおかみ
諸々の罪・穢れを祓う祓戸の神様です。

◆境外末社  八阪神社
桜井市大字金屋
御祭神
  素盞嗚尊すさのおのみこと
  大山祇命おおやまづみのみこと
  磐長姫命いわながひめのみこと
鎮座地の金屋かなやの氏神様として信仰されています。

◆境外摂社  神御前かみのごぜん神社
桜井市茅原558
御祭神
  倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみこと
第7代孝霊こうれい天皇のお子様で、大物主大神の神託しんたくを受ける巫女として、崇神天皇のまつりごとを助けられたことが『日本書紀』に記されています。
また『日本書紀』は百襲姫命が後に大物主大神の妻となり、悲劇的な別離となり箸墓古墳はしはかこふんに葬られるという箸墓伝説を伝えています。この神社の社殿は西方、百襲姫命の陵墓である箸墓古墳と正対しています。

◆境外末社  富士社ふじしゃ厳嶋社いつくしましゃ
桜井市茅原560
御祭神
  木花咲耶姫命このはなさくやひめのみこと
  市杵嶋姫命いちきしまひめのみこと
富士山の神様である木花咲耶姫命このはなさくやひめのみことと、厳嶋いつくしまの神様である市杵嶋姫命いちきしまひめのみことがお祀りされています。
社殿後方にある「弁天社古墳」は、明日香村の石舞台古墳のように石室が露出し、神社はこの古墳に寄り添うように祀られている大変特徴のある神社です。

◆境外摂社  檜原ひばら神社
桜井市三輪
御祭神
  天照大神若御魂神あまてらすおおかみのわかみたまのかみ
  伊弉諾尊いざなぎのみこと
  伊弉冊尊いざなみのみこと
神武天皇以来、皇居内で祀られていた「天照大御神あまてらすおおみかみ」を第10代崇神天皇が皇女の豊鍬入姫命とよすきいりひめのみことに託して倭笠縫邑やまとかさぬいむら(現在の檜原神社)に遷し祀られたと『日本書紀』は記しています。
このことから檜原神社は「元伊勢」と呼ばれてきました。また、左方には天照大御神の初代斎宮いつきのみや豊鍬入姫命とよすきいりひめのみことを祀る豊鍬入姫宮とよすきいりひめのみやが鎮座しています。

◆境外末社  豊鍬入姫宮とよすきいりひめのみや
桜井市三輪
御祭神
  豊鍬入姫命とよすきいりひめのみこと
豊鍬入姫命は天照大御神の初代の斎宮いつきのみやとして、この地で33年間朝夕奉仕されました。

今後、訪れる機会があれば追記したいと思います。


最後までご覧いただきありがとうございました。

参詣日  2025年1月19日(日)


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