社寺散歩|石山寺|滋賀
毎週楽しみに観ている大河ドラマ『光る君へ』の最終回が近づいてきて少し寂しい気分の xicano(しかの)です。こんにちは。
今回は《紫式部ゆかりの花の寺》石山寺です。
大本山石山寺
滋賀県大津市石山寺1-1-1
拝観時間:8:00~16:30(入山は16:00まで)
西国三十三所観音霊場 第13番札所
聖武天皇の勅願により天平勝宝元年(749)、良弁僧正によって創建されました。
東大門(重要文化財)
源頼朝の寄進により鎌倉時代に創建されました。
その後、淀殿の寄進による「慶長の大修理」が行われました。
大きな屋根の(向かって右側)北側の妻飾り付近にひっそりと...
豊臣家の五七桐紋が彫り込まれています。
仁王像
鎌倉時代、仏師 運慶、湛慶(父子)作と伝わっています。
東大門をくぐって長い参道の両脇にあるもの...。
拾翠園
拾翠園の門をくぐると大津観光キャラクターのおおつ光ルくんがお出迎えしてくれるお土産屋さんです。
推定12歳(光源氏の元服時)の男の子だそうです。
金龍龍王社
除災招福をつかさどる大日如来の化身で石山寺の守護神です。
物産館と同じ拾翠園、池の中に鎮座されています。
大黒天
公風園
大黒さまのお向かいにはさりげなく御所車が。
雅な雰囲気がただよいます。
そして、花山法皇のお名前発見!!
西国三十三所観音巡礼と花山法皇
養老2年(718)大和長谷寺の徳道上人が病にかかった際、冥土の閻魔大王から命じられて開いた三十三の観音霊場。
それから270年後、出家して修行を続けていた花山法皇が、夢枕に現れた熊野大権現さまのお告げにより観音霊場巡礼を行ったのが西国三十三所観音巡礼のはじまりです。
ここでようやく志納所(料金所)です。
・入山料 600円
・本堂拝観 500円
・豊浄殿 300円(「石山寺と紫式部展」開催中)
○セット料金 1,100円
・大河ドラマ館 入場料 600円(明王院&世尊院)
○全部セット料金 1,600円
くぐり岩(天然記念物指定)
硅灰石で自然にできた岩穴の右の穴から入り左の穴から出ます。
この穴をくぐると願い事が叶うそうです 。
「足腰に不安のある方はご遠慮ください」の注意書きがありますが、ここはチャレンジあるのみです!!
しゃがんだ状態のまま前進しなければなりませんが、イケる!...と思った矢先、ゴンっと頭を上部の岩にぶつけてしまいお願い事をするのを忘れてしまいました 🤣
比良明神影向石
石山寺を創建した良弁僧正が近江の地主神・比良明神とであった場所だそうです。
聖武天皇から東大寺の大仏建立に必要な黄金の調達を命じられた良弁僧正。
吉野 金峰山の金剛蔵王からのお告げで石山を訪れた際、この岩の上で釣りをしていた老人(比良明神)と出会います。
良弁僧正が老人に事情を話すと、「ここがまさに石山の地、近江の山は霊地なので祈願すれば必ず黄金を得ることができる」と言われたと伝わるそうです。
手水舎
横から見ると立派な龍が立ち昇っていくようです。
後ろには不動明王さまのお姿が。
手水舎の下の池には巨大な鯉がたくさん泳いで…じっとしています 😆
龍蔵権現社
石山寺の鎮守社。
本堂を参拝する前に手を合わせると更に幸徳が増すようです。
石段を登りきったところにご神木。
観音堂
石山寺ご本尊の如意輪観音を中心に、西国三十三霊場の全ての観音様がお祀りされています。
蓮如堂(重要文化財)
慶長7年(1602)の建築。
神事にも仏事にも使用されていたそうで、寺院における鎮守拝殿という珍しい建物だそうです。
明治以降、蓮如上人の六歳時の御影や遺品がお祀りされています。
三十八所権現社(重要文化財)
初代 神武天皇から第三十八代 天智天皇までの歴代天皇を祀る石山寺の鎮守社です。
ちょうど真下に位置する蓮如堂から見上げた角度ですが、鳥居の奥が本殿で蓮如堂を拝殿として建立されたものだそうです。
毘沙門堂(滋賀県指定有形文化財)
兜跋毘沙門天(平安時代 重文)がお祀りされています。
安永2年(1773)兜跋毘沙門天を深く信仰する紀州の藤原正勝が建立したそうです。
硅灰石(天然記念物)
「石山寺」という寺名の由来となっている硅灰石です。
石灰石が地中から噴き出した花崗岩のマグマに触れた熱作用で変質したものなんだそうです。
石山寺はこの硅灰石の上に建造されています。
なんだか雄大で霊地のパワーを感じます!!
蓮如堂と硅灰石の間を進み、石段を登るといよいよ本堂です。
本堂(国宝)
創建は奈良時代で現在の本堂は永長元年(1096)に再建された三代目です。
天然記念物の硅灰石の岩盤上に建てられた懸造り、清水寺(京都)や長谷寺(奈良)と同じ建築様式です。
ご本尊:如意輪観世音菩薩 (秘仏)
ご利益:安産、福徳、縁結、厄除
日本唯一の勅封秘仏(天皇の命で封印)で33年に一度と天皇ご即位の翌年にのみ御開扉されるとのことです。
ちなみに最近の御開扉は令和2年(2020)3月18日~7月1日、天皇陛下のご即位の翌年でした。
33年に一度の周期では最後が平成28年(2016)だったので次の御開扉は2049年......。
(生きてるかしら?😓たぶん無理だ)
御朱印は本堂内でいただけます。(納経料500円)
源氏の間
紫式部が参籠して『源氏物語』を書いたという『源氏の間』です。
写真では分かりにくいのですが手前と奥の二間続きです。
鎌倉時代にはすでに『源氏の間』と呼ばれていたこの部屋は、天皇や貴族、高僧など身分の高い人が使用する部屋で、皇后の女房だった紫式部が使用することは特別扱いだったようです。
経堂
経典や聖教類が収蔵されていた高床式校倉造。
経堂の床下に張り出した硅灰石の岩盤に腰を掛けると安産になるそうです。
赤い座布団が敷かれています。
紫式部供養塔・松尾芭蕉句碑
松尾芭蕉が『源氏の間』を見て詠んだと言われる句碑はすでに文字が読めないほどツルツルです。
鐘楼(重要文化財)
源頼朝が寄進したと伝わる鎌倉時代の鐘楼。
吊られている梵鐘は平安時代のもので重要文化財。
多宝塔(国宝)
建久5年(1194)、源頼朝の寄進により建立されました。
建立年代が明らかになっている多宝塔の中でもっとも古く国宝に指定されています。
また、上下のバランスとその曲線の美しさから「日本三大多宝塔」のひとつに数えられています。
ちなみにあとの二つは、高野山金剛三昧院(和歌山)と慈眼院(大阪)です。
ご本尊:大日如来(金剛界)坐像 快慶作(重要文化財)
わ~い!!快慶の大日如来さまを拝める~🤩
と、勢いよく覗き込むと、そこには印刷された大日如来さまのパネル(ポスター)がっ!!!
なんでも、6月に大規模な雨漏りが発生したため大日如来さまは現在、大津市歴史博物館に避難(寄託)なさっているんだとか。😭 残念
なお、多宝塔の雨漏りと四天柱絵(重要文化財)の修理には2年以上かかるそうです。
源頼朝・亀谷禅尼の宝篋印塔
亀谷禅尼は源頼朝の次女 三幡の乳母だった方で、頼朝の側近 中原親能の妻です。
若宮
若宮とは天智天皇の第一皇子・大友皇子(弘文天皇)のことです。
大海人皇子との皇位継承争い(壬申の乱)で敗れた大友皇子がこの地に葬られたことから、石山寺の寺僧により手厚く密かに供養されてきたということです。
芭蕉庵
たびたび石山寺を訪れていた松尾芭蕉ゆかりの庵です。
月見堂
後白河上皇の行幸に際して建てられた歴代天皇の玉座です。
歴代の天皇がこの場所で中秋の名月をご覧になったようです。
崖から張り出して作られているので高所恐怖症の私は足がすくみます。
歌川広重が描いた近江八景「石山の秋月」はこの場所からの風景だそうです。
豊浄殿
春季と秋季の年2回、石山寺の宝物、紫式部と源氏物語にちなんだ展示が行われています。
現在は(9月1日~12月1日まで)秋季「紫式部とほとけの道」開催中です。
光堂
鎌倉時代に存在したと伝わる「光堂」を平成20年(2008)東レ株式会社の寄進により復興されたそうです。
紫式部像
八大龍王社
龍穴という池の中に建てられていて、炎天下でも雨乞いをすれば必ず雨が降ると言われています。
また、石山寺の歴海和尚が尻掛石に座りお経を読んでいると池の中から龍王が現れ、和尚が帰るときには背負ってくれたそうな...。
天智天皇の石切場
ここで採石された大きな石材が、天智天皇の時代(660年頃)に奈良・飛鳥の川原寺(現 弘福寺)の礎石として使用されたことが近年の調査で判明したそうです。
こんな大きな石を、瀬田川~淀川~大和川~飛鳥へと船で運んだというからスゴイですね。
川原寺は飛鳥時代、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ、「飛鳥の四大寺」だったようですが、現在は跡地(弘福寺)に礎石と塔跡が残るだけのようです。
これで境内をほぼ一周しました。
あとで境内図を確認すると見逃した石碑やお堂が結構ありました。
このあと参道に戻り、明王院と世尊院で展示されている『大河ドラマ館』へ。
明王院・世尊院
滞在時間は約二時間半でした。
このあと東大門をでてすぐ、石山寺駐車場内のお店でお食事をいただきました。
湖舟
名物の「志じみ釜めし」と迷いましたが、大好物の「うな丼(竹)」をいただきました。
リーズナブルなお値段でとっても美味しかったです。ごちそうさまでした。
参詣日 2024年9月30日(月)