社寺散歩|書寫山圓教寺|兵庫
はじめまして。xicano(しかの)と申します。
先日、足の親指を骨折し、しばらく趣味の社寺散歩ができなくなりました。
なので、これまでに訪れた社寺の写真と思い出をnoteにまとめてみようと思い立ちました。
どうぞよろしくお願いします。
まずは直近に訪れた書寫山圓教寺から...。
書寫山圓教寺
兵庫県姫路市書写2968
奈良時代より山岳信仰の道場として多くの修行僧たちが住まう「聖なる山」として知られていた書寫山は比叡山、大山と並ぶ天台宗三大道場のひとつです。
康保3年(966)性空上人が入山し、修行を続けた4年後の天禄元年(970)根が付いた桜の生木に六臂如意輪観音を刻まれ如意輪堂を建てられたのが始まりです。
寛和2年(987)花山法皇が参詣し、性空上人に深く帰依したことから「圓教寺」の寺号を授けられ、比叡山から高僧を招いて落慶法要が行われました。
※
令和7年(2025)1月20日(月)~3月23日(日)までの間、定期点検に伴い運休するのでご注意下さい。
詳しくは『書写山ロープウェイ』サイトでご確認ください。
圓教寺へは登山口から1時間かけて徒歩で登るコースもありましたが、脚力温存のため山の麓から4分のロープウェイ(往復1200円)で登りました。
ロープウェイ山上駅を降りて入山料+マイクロバス往復(1000円)を支払い入山。
ここでも徒歩で参道を進み仁王門から境内へ入るのが本道ですが、25分の登り坂に恐れをなしマイクロバスを利用させていただきました。マイクロバスは参道とは別ルートで圓教寺の中心摩尼殿まで連れていってくれます。
ご本尊:六臂如意輪観音(秘仏)
年に一度、1月18日の修正会法要の際のみ開扉されます。
懸造りの摩尼殿は二度の火災で焼失しており現在は4代目です。
見える建物は『はづき茶屋』
おみやげ物やお食事がいただけます。
摩尼殿から5分ほど進むと視界が開けて、大講堂(右)、食堂(正面)、常行堂(左)がコの字に並ぶ広場に出ます。
圓教寺総本堂
ご本尊:釈迦三尊像
寛和2年(986)花山法皇の勅願により創建。
室町中期に再建されています。
ご本尊:僧形文殊菩薩
各地から集った若い僧侶の学問・寝食の場です。
承安4年(1174)後白河法皇の勅願により創建。
長く未完だった二階部分を昭和34年の解体修理の際に完成させました。
長さ40m(別名:長堂)
食堂内では
一階:写経場
二階:宝物館
となっていて、自由に拝観することができました。
宝物館ではご本尊の僧形文殊菩薩像をはじめ、五大明王像、薬師如来像、大日如来座像(定朝作)、弁慶が使用していたという机のほか、たくさんの貴重な宝物を拝見することができました。
広場の中央にあるオブジェは
圓教寺×隈研吾
建築家・隈研吾さんのパビリオン《くぎぐも》が展示されていました。
ご本尊:丈六阿弥陀如来
僧侶が常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の御名を唱えながら、本尊の周りを回る修行)をする道場でした。
北側には大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するための舞台が設けられています。
創建は不明ですが現在の建物は室町時代のもの。
大講堂と食堂のあいだを抜けて奥へすすむと...
昼寝をしていた武蔵坊弁慶の顔に信濃坊戒円がいたずら書きをし、小坊主たちが大笑い 😆
目を覚ました弁慶がこの井戸に映った自分の顔をみて激怒し、戒円と大喧嘩になり、それがもとで大講堂をはじめ山内の建物を焼き尽くしてしまったという伝説が残っています。
「乙天・若天」2柱が祀られている護法堂の拝殿としての役割を持ちます。
また、7~10歳まで書寫山で修行していた武蔵坊弁慶の学問所であったと伝わります。弁慶が使用していた机が食堂2階の宝物館に展示されています。
性空上人に終生仕えた乙天(不動明王の化身)と若天(毘沙門天の化身)、圓教寺の守護神である二人の童子が祀られています。
寛弘4年(1007)性空上人が98歳で入寂したのち、上人の御骨を祀るために弟子の延照が創建。
開山堂の屋根の軒下四隅に屋根を支える力士像がいます。
が、なぜか北西隅だけ不在。
屋根のあまりの重さに耐えかねて逃げ出したと伝わります。
暗きより 暗き道にぞ入りぬべき
遥かに照らせ 山の端の月
性空上人の高徳を慕って中宮彰子とともに書寫山を訪れた和泉式部でしたが、権勢や栄華を誇る人々との交わりを避けていた上人は居留守を使います。
しかし、無念の思いを読んだ和泉式部の歌に感銘を受けた性空上人は急いで呼び戻しお会いになったということです
性空上人が書寫山で修行をはじめた頃に住んでいた普賢院。
この場所に金剛薩埵菩薩(大日如来の化身)が訪ねられ、金剛界曼陀羅と退蔵三界曼陀羅を表す神聖な印相を性空上人に 伝えました。
天竺様式の屋根をもつ薬師堂は現在圓教寺に現存する建物で最古のものです。
1978年の改修工事で奈良時代の遺物が内部から発見されたことにより、性空上人が入山する(966年)以前から宗教的な場所であったと考えられます。
ご本尊:普賢菩薩
創建は寛和3年(985)播磨国司 藤原季孝により建立されました。
標高371mの山頂に鎮座する准胝峰(白山権現)。
言い伝えによると、この地に素盞嗚尊が降臨され殊更お気に召し、一泊お泊まりになったということです。
そののち素盞嗚尊をお祀りする祠が建てられ、いつしか素盞の山と呼ばれるようになり〖素盞山(すさざん)⇒書寫山(しょしゃざん)〗となったとか。
性空上人が入山する以前から霊山として修行者の行場でした。
上人はこの地で六根清浄の行をつんで心眼を開かれたとされています。
書寫山の中で最も力強く、聖なる場です。
性空上人が出会った仙人から告げられた
山上の奇瑞のある霊地三ヶ所
第一霊地:大講堂
第二霊地:摩尼殿
第三霊地:白山権現
もとは大日院と称し、長和年中(1012~1017)日照が創建。
土蔵からは平安期の性空上人像が発見されました。
また幻の漆器「書寫塗」の器が数多く現存しています。
(食堂二階の宝物館に展示されています)
この石の上に乙天、若天の二人の童子が降り立ち寺門を守りました。
また、この大きな護法石を弁慶がお手玉にしたとも言われています。
西国三十三観音がずらりとお祀りされています。
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書寫山に眠る姫路城主たち
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三つの堂の食堂に向かい合うように本多家の廟所があります。
(お掃除中で中には入れず門の外から覗きました)
本多正勝、忠政、忠刻、幸千代(忠刻と千姫の子)ら、本多家5代の廟屋と6基のお墓が祀られています。
鐘楼のそばの一画に姫路城歴代城主の中でも名君の誉れ高い榊原政房と曾孫 政祐の二人が祀られています。
政祐の養子 榊原政岑が建立しました。
薬師堂と向かい合う廟所
姫路城主となるも出羽山形から姫路に向かう途中でなくなった松平直基。
あとを継いだ松平直矩が姫路城主になり、姫路城に入ることが叶わなかった父の無念を思い建立、分骨を納めました。
マイクロバスを利用したため仁王門や壽量院など、見逃した場所もありますが、この時点ですでに到着から三時間が経過していました。
ウォーキングマップを見ながら白山権現を目指していたのですが道を誤りかなり体力を消耗 。
しかし、そこで見たのは黒田官兵衛が見た景色!?
2014年 大河ドラマ『軍師官兵衛』のロケ地だった圓教寺。
食堂では当時のようすがパネルで展示されていました。
映画『ラストサムライ』のロケ地としても有名ですね。
現在公開中の映画『八犬伝』の撮影も行われたそうです。
下りのロープウェイを待つあいだ展望デッキから眼下に望む姫路の町と瀬戸内海をパチリ🐝 直後、大きなスズメバチに襲われそうになる。
怖かった!!!!!
参詣日 2024年10月31日(木)