義足の人が走ることの意義は
5/15、Zoom にて、Xiborg が主催するトークイベント、xXiborg Talk(クロスサイボーグトーク)が行われました。
第2回となる今回は、Xiborgの義足を使用し活躍している3人のアスリート、春田純選手、佐藤圭太選手、池田樹生選手を招聘し、走るきっかけや普段の練習方法などそれぞれの体験から具体的にお話をお伺いし、一般的な義足の人が当たり前に走れるようになるためにはどうすれば良いか、Xiborg 代表の遠藤と Xiborgランニングオフィサーの為末大の3人で議論しました。150名以上の方にご参加頂き、パネルディスカッションの後には参加者の方からの質問もいただきました。
当日の様子は YouTube でもご覧になれます。
登壇者
春田純 (Xiborgアスリート)(写真左)
1978年7月生まれ、静岡県出身。174センチ、63キロ。15歳の時に「骨肉腫」を発病して左膝から下を切断。24歳の時に義肢装具士の沖野氏と出会い陸上を勧められたのが走り始めたキッカケ。ロンドン・パラリンピック4x100メートルリレー4位入賞。自己ベストは100メートル11秒95 。
佐藤圭太 (トヨタ自動車、Xiborgアスリート)(写真中)
1991年7月生まれ、静岡県出身。 中学3年までサッカー。中学3年の時に「ユーイング肉腫」を発病して右膝から下を切断。 静岡・焼津中央高時代に陸上を始め、中京大3年の時にロンドン・パラリンピック出場。 2年間の同大職員をへて、トヨタ自動車入社。リオデジャネイロ・パラリンピックでは400メートル銅メダリストになる。自己ベストは100メートル11秒77、200メートル23秒85。
池田樹生 (デジタル・アドバタイジング・ コンソーシアム株式会社、Xiborgアスリート)(写真左)
1996年12月16日生まれ、愛知県出身。先天性の障害で右下の膝下と右腕の肘から先がない。高校から陸上競技を始め、100メートルと400メートルが専門。(中学時代はバスケ部) 2016年6月のジャパンパラ大会にて400メートル57秒40で日本新記録を樹立。自己ベストは100メートル11秒97、400メートル57秒40 。
遠藤謙 (Xiborg代表)
モデレータ
為末大 (Xiborgランニングオフィサー)
走るきっかけに必要なこと
為末 大(以下、為末):
いつ最初に義足をはいて走りましたか。選手の中でも生まれた時に義足を履き始めるパターン(先天的)と、途中で病気や事故で切断して履くパターン(後天的)と2つあると思うんだけど、佐藤選手は後天的ですよね。
佐藤 圭太(以下、佐藤):
後天的です。15歳の時に小児癌になり悪性腫瘍が右足にできて切ることになって。その時にたまたま担当していただいた義肢装具士さんから生きていく上で必要だろうということで、競技用の板バネをモニターのような形でいただきました。切って半年後には義足が完成して、すぐに走り始めました。
為末:
それは珍しい(パターン)ですか。切断してから走る選択肢を考えないパターンは結構あるのかな。
佐藤:
板バネが手に入らなかったら、走る選択はしなかったと思いますね。足を切る時もお医者さんからは「義足で走れるよ」と言われていたものの、いざ日常的な義足で歩いてみた時に、「これ絶対走るの無理だな」と思ってしまったんですよね。痛かったですし、跳ねる感覚もなかったですし。ただ、板バネをもらって、走ったときに弾む感触があって、嬉しかったですし「元の生活に戻れる」と感じました。
為末:
最初の試合のこととか覚えていますか。
佐藤:
高校の陸上部にリハビリとして入部して、みんなで遊び半分でタイムを計ったときはめちゃめちゃ遅くて…。100m 17秒とか。でもまた走れるようになったのが嬉しかったです。
為末:
日常の義足から競技用にしたときに何が一番違いましたか。
佐藤:
基本的には跳ねる感覚が日常用にはなくて。足首をコルセットで巻いたり、スキー用のブーツを履いている感じです。
為末:
春田さんはどうですか。
春田 純(以下、春田):
中学までは陸上をしていて、3年生の15歳で病気になって切断しました。慶應病院で足を切って、その時のドクターからも義肢装具士さんからも競技用の義足の話は出なかったです。アイスランドのOSSUR社しかスポーツ義足は扱われていなかった。走り始めたのは25歳です。
為末:
佐藤選手のようにお医者さんに勧められるよりは、テレビや本でパラリンピアンの話を聞いて「自分もやれるかも」と思うパターンを聞いたりするんですけど。
春田:
当時はネット環境がよくなかったので、報道自体があまりなかったんですよね。なのでお医者さんか義肢装具士さんに競技用の義足を勧められるのが一般的だった。僕も当時担当してくれた義肢装具士さんから、「こんなスポーツがあるよ」と勧められました。憧れの選手はアメリカのマロン・シャーリで、オリンピアンと同じUSAのユニホームを着て障がい者の選手が走るのは衝撃的で。この人を目標にずっとやってきました。
為末:
3人の選手の中で、足を切断する前も陸上部で走っていたのは春田選手だけ。切断して走った感触はどうでしたか。
春田:
…なんというか弾まないというか。ポーンポーンポーンと走れていたのが、片方に棒が付いている感じ。ガンガン地面につく感じが普段用義足。それで唯一出た試合が関東パラかな。
為末:
あ、試合も出てたんですね!
春田:
その時の日本記録が12.56秒。自分は普段用義足で16.30秒くらいで。圧倒的にビリで遅いんですよね。それからスポーツ用義足に履き替えたら、昔に戻った感覚でした。スポーツ用義足は健脚に近い感覚なんです。下腿義足だからもあると思うんですけど。今はあんまり左右差を感じることもないです。
為末:
池田選手は唯一の先天性で、そもそも普通の足の感覚を知らないですよね。走り出した時の感覚って、どんな感じでしたか?
池田 樹生(以下、池田):
生活用の義足で野球やサッカー、バスケットボールをしていました。バスケットボールをしている時に生活用の義足を壊してしまって、修理用の工場に行った時にパラリンピックで活躍されている選手の写真を見て興味を持ちました。高校生の時、本格的に陸上部に入り走ろうと思いました。ただ、実際に「板バネ」(競技用義足に必要なパーツ)にいくらかかるか知っていくうちに、なかなか手に入らないと知って…初めの1年間は日常用の義足で100mを走っていて、試合も出たのですが13.5秒ぐらいでした。
為末:
はやいね!
池田:
走れてましたねー。2年生の夏から競技用の「板バネ」が手に入って走り始めました。先輩方から「タイムが1秒ぐらい縮むよ」と聞いていたのですが、バネをコントロールするのが難しくて、初めはなかなかタイムが変わりませんでした。
為末:
幼少期から使っている日常用の義足に慣れてしまって、競技用義足にうまく適応できなかった感じかな。
池田:そうですね、慣れない感覚に体が上手くついていけず、タイムに直結しなかったと思っています。
為末:
面白いですね。もし始めから健常の足に近い競技用義足を使っていたら、そっちに適応したかも。
池田:
体育の授業とかも競技用のを履いていたら、また違う感覚で走っていたんじゃないかと思いますね。
為末:
でもカーボンの義足は高いもんね。遠藤さんがこれから激安にしてくれるみたいなので(笑)
走るのを競技用義足で始めた時はそんなに違和感なかった?
春田:
走ることに対しては、「いつもより少し早いな」ぐらい。でも鏡を見ると…先天性だからかわからないけど…上半身が「あおり」といって曲がっていたり。人間らしくない走りをしていたのを今でも覚えています。
為末:
走ることへの周りの人の反応はどうですか?
池田:
いろいろ応援してくれたり、トレーニングを一緒にしたりもしたので、陸上部の中で一緒に活動していたのは良かったと思いますね。
為末:
今3人の選手の話を聞いて、成功例だと思うんですよね。いきなり才能があったわけじゃないけども、走ることに出会ってこのレベルまで三者ともきている。結構3人とも違う道を歩いているんですけど、大きく整理すると…まず一つは「ロールモデル」。先に走っている人がいたこと。もう一つは「情報」。周辺の義肢装具士さんや医療関係者が走ることを進めてくれたこと。あとは「技術」で競技用義足があることと、走り方を教えてもらえることかなと思います。
走ることが選択肢にない社会
遠藤 謙(以下、遠藤):
走るための義足をつくり始めた時、健常者のように、幼少期に走り始めて、速かった人が選手になっていくプロセスが、義足界にもなんとなくあると思っていました。いざ中を見てみたらそれが全くないと感じて。この3人の選手はたまたまきっかけがあって、たまたま速くて、たまたま今でも選手をしている…。一歩違ったら普通に働いている可能性の方が高かったと思います。樹生(池田選手)が佐藤圭太選手に出会ったのは、高校生の時に中京大学のグランドを偶然使ったから。この「たまたま」起こったことが偶然繋がる、ということが、選手になるには必須。
これを変えられないかなと思って義足の図書館をしたり、いろんな子供と話したけど…どうもそう簡単ではないと感じています。
まず値段が高い。これはみんな口を揃えて言います。でもこれはある程度安くできるように、我々も他のメーカーも取り組んでいます。
だから解決できるかというとそうでもなくて、「ソケット」(図参照)いう断端(足が切られた場所)にはめる義足のパーツの設計が、ある程度走ることを想定していないと、初心者用の板バネに交換できない。「走りたい」と遊びに来ても、この義足は無理だね、となってしまうこともあります。
為末:
「ソケット」は頻繁に変えるものではないのかな?
佐藤:
基本的に持ってないですね。足を切った当初は作り変えていたけど、ある程度断端が安定してくると変える必要が無くなってきます。壊れなければ、基本ずっと使っていきます。
為末:
その「ソケット」に競技用義足がくっつく形になっていないと、走る時は新しいのを作らないといけないですか。
佐藤:
僕たちの場合は「ソケット」と「板バネ」が一体化になっているのですが、多くの場合は日常用の「ソケット」の下に「板バネ」をつけるのでそれが重要になってきますね。
為末:
遠藤さん、競技用義足がつけられるような「ソケット」の日常用義足にすることは、歩く時に何かデメリットはありますか。
遠藤:
ないことが多いので、つけられるならつけた方が良いと思うし、一緒に活動している義肢装具士さんも普段つくっています。走ることを想定していないことが多いのは、値段が高いことが関係しているふうにも思います。
為末:
高いからの前に、「いつかは走るかもね」という可能性が前提でないのかな…。
遠藤:
例えば圭太くんが紹介してくれた女の子のパーツは、走ることが全く考えられていない状況でつくられていて。多分走るというオプションが彼女には想定されていなかったのだと思います。
為末:
「義足でも走る人は世の中にたくさんいるからね」っという感じにならない。なんか義肢装具士さんだけじゃなくて、社会的空気が結構影響していると思うのですがどうですか?
遠藤:
ちょっと不謹慎かもしれないですけど…高校の友達で骨肉腫で大腿義足(太腿の部分で切断した場合に装着する義足)になった人がいて、病気が治って走り始めてから「もうちょっと足を短く切って欲しかった」って言ったみたいで。要は、手術をした時に足をなるべく残そうと思うことが一般的な考え方で、義足をつける時にちょっと足の長さが長くなってしまって、膝の位置が右と左で違うんです。膝を揃えたいからそう言ってるんだけど。でも当時はそれどころじゃない、生きるか死ぬかの状況で「走ることを想定してここまで切りませんか」ってなかなか言えないと思うので…その風潮はあると思いますね。
為末:
つまるところ、走るっていうことは「人生でどのくらい外せないものなのか」っていう社会の中での教養っていうんですかね…。というのも例えば、もう食べることは諦めて流動食でいいですねって言われたら、なんとなく人生で大事なものを失われる気がする。それと同じように、「やっぱ人って走っていた方が良いから、走れることを前提にいろんなことを考えましょう」っていう社会のデザイン。これが走ることがどのくらい大事なのかと関係している気がします。
オーストラリアでの取り組み
遠藤:
それでいうとオーストラリアの女の子がいます。義足の図書館ができた時にたまたま日本に旅行していた家族で、当時4歳ぐらい。日常用のものとは別に、競技用の義足も持ってたんですよ。どうしたのか聞いたら、クイーンズランド(オーストラリアの州の一つ)では競技用義足が支給されると言っていたんですね。なんでそんなことできているのかというと、走ることが「子供の育つ環境」としてものすごく重要視されているから。歩けるようになって身長がある程度伸びたら、競技用の義足も普及しましょうと。
クイーンズランドで支給されている走るための義足
最近はクイーンズランドだけでなく、NDISという機関がオーストラリアでできて、国全体で子供用の走る義足の支給が始まっていると聞きました。
為末:
二つ聞きたいことがあるんですけど。一つはどんな社会全体のメリットがあるのか。つまり、税金投入をするのでどんなロジックでみんなを説得したのか。もう一点は、何が起爆剤になったのかなと。
遠藤:
WEBの申し込む欄には、「今このサポートを受けることによって、将来のサポートが減りますか」という質問事項がある。要は、「走ることで今後この人をサポートする社会負担が減る」というロジックがどこかにあるんじゃないかなと。
為末:
走ることと、ある程度自分で生活をマネージしていくっていうのがリンクしている考え方なんですかね。健康になるとか。
遠藤:
うんうん。
為末:
こういうムーブメントが一つ作れたらいいかなっていうのはありますかね。
義足ユーザーが自分でできること
遠藤:
「板バネ」と日常用の義足を交換する時に、取り付け角度の調整は国家資格をもっている義肢装具士さんがやっているケースが多い。でも一旦それを調整してもらったら、それをキープしたまま自分で交換する手法もあるので、義肢装具士さん無しでも交換している人もいます。小学6年生の男の子も、4年生ぐらいから「板バネ」をつけていて、最初はお母さんにつけてもらっていたけど、自分で学んで今は体育の授業とかで交換してる。
体育の授業のために自分で義足を交換する様子
これをみんなが「安全面」を担保しながらやれるかどうかも、ハードルの高い問題なんじゃないかと思います。周りに「良いサポーター」がいるから出来ること。自分で交換できないと、毎回義肢装具士さんがいるランニングクリニックに行って、交換してもらってまた戻して帰る必要があり、実際行われています。
走る選択肢がなかった女の子
池田:
僕が所属している企業の活動で地域の人にランニング指導をすることがあったんですね。その時に担当の方から義足の女の子を紹介していただいて。当初は小学校4年生。先天性の右足義足で、断端の末端から地面まで約10センチぐらいしかなくて、足が長く残っていたんですね。両足義足なら両足の長さは関係ないけど、片足の場合もう片方に合わせないといけないので長さが「ネック」だったんです。一般で売られている子供用の義足も高さが20センチ近くあって。「長さが合わないから板バネで走ることは無理だ」と担当の義肢装具士さんも女の子もお母さんも考えていました。
そこで担当の義肢装具士さんともお会いして、遠藤さんに相談してパーツをつくっていただき両足の長さを揃えました。小学校の長距離走でも「800mが1分ぐらいはやくなった」と喜んでくれていました。
両足の長さを揃えるパーツを作製・調整する様子
両足の長さを揃え、更に板バネを最大限活用できるように改造を施された競技用義足
為末:
同じ切断面の人なんていないから、靴みたいに既製の製品をつくりにくいことも普及を妨げている一つの原因のように思えますね。
遠藤:
そう思います。本当だったらできるけど、義肢装具士さんの手がまわらないっていうのもあるのかなと思います。
変革を求めてまずは地方から
為末:
誰でも走れる社会をつくるためにどこから手をつけたらいいと思いますか。
遠藤:
まずは1人2人、事例をつくっていく。医療費削減傾向がある日本でやるのは難しいので、まずは「エビデンス」がないと説得できない。地方の自治体と組みながら、助成金に値することだということ、その人の生活をより良くすることによって国全体が利益になるという「ストーリー」がないとあまり響かないんですよね。事例を作って「エビデンス」も作る、そんな流れが必要じゃないかと思います。
パラリンピックは社会への起爆剤
為末:
誰もが走れる社会をつくる上で、パラリンピックはどういう役割を果たせそうでしょうか?
佐藤:
東京パラリンピックが決まって、障がい者を見る機会がとても増えたと思います。今まで障がい者というイメージは「ネガティブ」な印象が多かったと思います。僕自身も義足になるとき嫌だなと思ったし、親とかすごく悲しんだ。東京大会が決まってスポーツをやる人も増えてそれが少し変わってきたのかなと思います。
僕自身も見たことない障がいの人と会って、「すごいな」と思うけど、見ていると慣れてきて。「両足がなくても大丈夫そうだな」と思ったり。
多分体の手足がなくなるのは人生で大きなストレスだと思うけど、それがネガティブなものじゃなくなったらもっと良い社会になるのでは。スポーツはその良い起爆剤になると思います。
春田:
2020年の東京パラが決まって、障がい者がメディアに出るようになりました。そうなると健常者と障がい者の共存ができる気がします。
今まではほぼなかった。CMでもオリンピアンとパラリンピアンが一緒に出るとか。昔は「障がい者」というキーワードが、ちょっと重かったり暗かったり、苦労するという印象があったんですね。
でも東京大会が決まってから、「走っていて楽しい」「障がいをもっても大丈夫」と声を上げる場が公演やイベント・メディアなどで増えた。パラリンピックのおかげで今プラスの方向にいっていると思います。
池田:
東京パラリンピックを一つの起爆剤として、自分自身も義手と義足を使って走るロールモデルだったり、メッセージを発信出来るんじゃないかなと。
公園を走っていても最近は子供たちに「パラリンピックの人だ」と声をかけてもらえることも増えて、それがパラリンピックを機に障がい者への見方が変わってきた証拠だと思う。
もっと小さい子供たちにも気軽に義足を履いてもらい、小学校の体育の授業などでもみんなと一緒に走る場をつくる機会になればと思っています。
遠藤:
パラリンピックは観ていて面白いし、速くてかっこいいと思えるスポーツの祭典。でも今年パラリンピックがあったら、それだけで終わってたんじゃないかなと思うんですよね。パラリンピックを通して障がい者への考え方も変わらないと、「パラリンピックから何も日本は学べなかった」と、やり損になってしまう。
むかし世界では障がい者は差別の対象で医療福祉のお金が流れてしまうという認識をしていて。本当はいけないことだとわかっていながら経済の発展を優先させていた。そこから「SDGs」という言葉が誰もが知るようになって、「ダイバーシティー・インクルーシブ」が当たり前だよねという世界になりつつある今、日本にこびりついた概念をどう変えていくのか。パラリンピックという起爆剤を使ってでしか、変わらないように思っています。
それを見たいという思いでパラリンピックと関わっています。ぜひ選手たちにかっこいい姿を見せてもらって、イメージを一掃させて欲しいです。
最後は選手企画のジャンケン大会 10名様にXiborgタオルをプレゼント
次回の「x Xiborg talk」は 6月10日夜21:00より、アメリカのXiborg選手Jarryd Wallace選手をゲストにお招きします。詳しくは後日Xiborgのfacebookページより告知いたします。