意識は長く眠らない。(アメリカ民謡研究会より)
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考えていることが顔や仕草に出ない(ようにしている)ので、周りからは精神が安定している人と思われているかもしれない。
ましてや「おまえには感情がない」と言われることだって偶にある。
実際、一般的な情緒不安定とまではいかないと思う。
だけど、時によって自分の感じていること、思っていることが本当にぜんぜん違うし、私は過去または未来の自分は全くの他人だと思っている。
(このブログでの名を使うのなら)「髙」という実体を借りた精神が絶えず入れ替わっている、とでも言えるだろうか。
当たり前と言えるかもしれないが、
私は学校からの連絡事項を聞いたその時はその内容を覚えているが、5分後には忘れているだろうし、
夜に 明日なんとしてでも時間通りに起きよう!と決心しても、朝には如何に最短の方法で目覚まし時計を止めてもう一度眠りにつくか、ということしか考えていない。
勉強だってそうだ。
私は高1高2で勉強に全くと言っていいほど手を付けてこなかったので、志望校に受かるためにはあらゆる時間も惜しい。何なら勉強している時間ですら、低速でのろのろやっている自分が嫌になるほどに。だ
だがこの今は勉強もせず、自己満以外の何にもならないこんな文章を書き続けている。
何をやっているんだ、こんなことをしている時間はない。
と、昨日の私は言うだろう。
でも今の私は、これを書きたくなっているのだ。だから書いている。
本当に申し訳ないが私は昨日のおまえではない…。
思うこと。感じていること。その時の体調。今いる場所。
これらが常に変わりゆくせいで、実は私の行動や話の受け答えなどは本当にまちまちだ。
ただ、私の周りに広がっている空間には、その場所によって、私のキャラクターがいる。
そいつの仕草マニュアルを見ながら、反応が変わりすぎることをなるべく避けて生きている。
私は「なんか、意外だな」と言われるのが苦手である。