1980年代から2000年代、それぞれの世代について綴ったnoteです。高校生、大学生がたくさん書いています。無料で全部見れるようになっていますが、若い子にどんどんサポートしてください!(願望)
自分なりの価値基準を持つというのは、直感的にはあらゆる判断の軸となる唯一の信念を持つというようなイメージが思い浮かぶけど、そうではなくある事柄を相対化できること、つまり比べる対象をたくさん持っていて、それらの中でのある事柄の位置を割り出せるということではないか。比べる対象をたくさん持つことがすなわち自分なりの価値基準を持つということではないか。 つまり価値基準とは、「軸」ではなく「系」である。 自分なりの価値基準を持つということが、知的自由であるとするならば、知的自由とはある
人間にとって、短期的なストレスは害ではなく、むしろ良い効果をもたらすらしい。しかし、慢性的なストレスとなると、話は一転、大きな害をもたらす。 そもそも、ストレスの正体は何か?ストレスは、精神的なもの、もしくは感情的なものとして捉えられることが多いように思う。この発想から導かれるアドバイスが「もう少し気楽に」などそういう類のもの。 しかし、もう少し客観的かつ定量的視点から考えるならば、ストレスの正体とはホルモンである。具体的には、アドレナリン、ノルアドレナリン、コルチゾ
・良書のみを読むこと。人生のうちに読める本の数は有限である。良書とは、内容が正しいかどうかではなく著者の主張が明確かつ論理的に書かれている本のこと。古典的価値のある著作。著者の精神の結晶。歴史の淘汰に本を選んでもらう。 ・本の中に価値判断を求めないこと。著者の主張を相対化せずに盲目的に受け入れるのは、知的自由ではなくむしろ知的奴隷に向かう行為。 ・抽象化具体化を経て、個別的な知識ではなく普遍的な概念として新たにストックすること。または既存の概念と結びつけること。学びの
きっかけはこのツイート。 タイトルは、同テーマ同い年ということで、MASH@東大院休学中さんの、こちらから拝借しました。https://note.mu/holiday_student/n/n762682caded7 年末年始、読書してたけど読むことに飽きてきたので書く方にまわってみます。 基本情報 ・1995年生まれ23歳の男 ・地方出身の都内大学生 ・留年を繰り返してるので今2年生(3歳下の子たちと授業を受けてる) という感じで、人生の寄り道をしていない同級生は就職