悪夢の高校時代(自伝②)
1.独りぼっちの遠足
いつの頃からか、それまで普通に友達と話せていたのに、自分がどう見られているのか?が気になりだした。
友達との会話中、会話が途切れた時の沈黙が、何かしゃべらないといけないという強迫観念になり、友達との会話が息苦しくなってきた。
それと相まって、進学高校に入り、授業も一気に難しくなり、先生の話についてゆくのがやっとになった。
それまで優等生を気取っていたのが、周りの生徒のレベルの高さに圧倒され、進学競争にいやがうえにも巻き込まれ余裕がなくなった。
バスケットボール部にも入り、練習後の疲れた体で電車で1時間かけて自宅に戻り、食後に宿題を終わられるのがやっとという状態で一気に劣等生へと転落した。
おまけにこのころは性欲も盛んになり異性を強く意識するも、それどころか男友達さえできない。
八方ふさがりの苦闘の高校時代だった。とにかくいい思い出がない。
それを象徴するかのような高1の時の遠足のこと。
鎌倉へのバス遠足だった。大仏やお寺を集団行動で見学した後、自由行動になった。この自由行動と聞いた途端、憂鬱な気分が重く脳裏を覆ってきた。
何せ話す友達もいないので、単独行動となってしまう。それは好きなのだが、他のみんなは、それぞれ2~5人ぐらいのグループをつくりそれぞれ勝手に出かけ行く。自分だけが一人と思うと、変に思われやしないか?という思いが沸いてきて、それが自分を苦しめるのだ。
なんとか、生徒達のいない所、いない所と行っている内に、いつのまにやら変な山道に入り込み、そのうち道さえない獣道のようなところに迷い込んでしまった。しかたなく後戻りして何とか集合時間には間に合った。
しかしここで安心するのもつかの間、恐怖のお弁当の時間だ。近くの公園のようなところで各人自由にお弁当となったのだ。
皆は自然と気の合う者同士でグループを作り、広々したところで車座になり楽しそうにお弁当を広げる。
私はというと、しばらく歩き皆と距離をおいたところでベンチを見つけ、そこに一人座り母の手作りのお弁当を広げたのだ。
一人の方が気楽でいい。それはいいが、また私の頭が『皆が見ているのではないか?一人で食事して変な奴だと思われはしまいか?』とささやくのである。これが苦しいのである。
2.夏休みの悲劇
バスケット部の夏休み中の合宿でのこと。
見渡す限りの田園と山々にかこまれた民宿での合宿。場所は忘れたが朝はそこで飼われている庭のヤギの「めぇー」という鳴き声で起きる。途端にまたつらい練習が始まるというくらい気分に襲われ、布団の中でその鳴き声が何か悲鳴のように聞こえた。
食後に2キロぐらい先の学校の体育館まで全員でランニングするのだが、これがまた辛い。ただでさえ便秘症の私は朝のあわただしい合宿生活では特につまり気味。その詰まった不快なお腹を抱えてのランニング。
それは2日目のランニング中のことだった。みんなについていくのがやっとの私はハアハア言いながら、必死に何とかついていたが、途中で急にめまいがしたかと思ったら意識を失い崩れるように路上にへたり込んでしまった。
すぐに車で並走していたコーチが駆けつけ救急車が呼ばれた。心配そうに見守るコーチの顔と、やけにまぶしい真っ青な青空をぼんやりとした視界の中でしばらく感じながら、やがて救急車に運ばれた。
救急車の中で目をつぶりながら徐々に息が回復し正常に戻るのを感じた。『ヤバい、せっかく救急車まで呼んでくれて、もう治りましたからとは言えない!』と、みるみるゼイゼイと息が早まってきた。『わざとやってるのがバレるのではないか?』という不安を必死に隠していた。
病院で形ばかりの診断をして体育館に戻ると、しばらく休んでから練習に加わった。また通常に戻れたという変な安心感があった。
辛い合宿が終わってホットしたのもつかの間、次は山と積まれた手つかずの宿題が待っていた。すでに夏休みは残り一週間となっていた。
この有名進学校は名にしおう厳しい学校で、その夏休みの宿題の量ときたら半端なかった。とにかくどの学習塾でも夏休みともなれば勝負の時とばかりに煽り、盛んに夏期講習に誘うがごとく、夏休みに遊ばせまいと、たんまりと宿題を出すのだ。
この一週間は人生の中でもっとも勉強をした時期かもしれない。夜の寝る間も惜しんで宿題を一つずつ片付けて、やっと9月1日の2学期の始業式の日に、翌日提出分の宿題を残してかろうじてセーフだった。