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恋愛体験こそ最高の体験

1.人生の目的とは?

人生の目的はいたってシンプル

愛の人になること

目の前に困っている人がいると、自然と助けたいという気持ちになるのは

それは、自分が困ったという経験をして、その時の不安感や心細さなどの感情を味わったことがあるからだ

ゆえに

どんな状況にある人に対しても、その人の気持ちがわかり、自分ごとのように考えてあげられる愛ある人になるために

人生は、一見すると困難に見えるようないろいろな出来事を体験させようとする

とはいえ、いざ、その出来事に遭遇すると、つい自分がかわいいもので、体験する前に逃げたり、

いざ出来事に踏み込んでも、辛い苦しいと思い込んで途中で投げ出したり、

自分が傷つくのを恐れ、十分にその体験を味わわずに逃げてしまうことも多い

体験を味わうとは、その体験を十分に感じきるということだ

2.恋愛体験

たとえば

もう気づけば何年も憧れ続け、夢にまでみた意中の人に、自分でもどうにもならない激しい恋心を感じている場合

以心伝心で気持ちは伝わるものだが、相手にはすでに相思相愛と思われる恋人がいて、どう考えても無理という状況

しょせん無理と状況判断して諦めようとするが、あきらめきれず悶々とする気持ち

さりげなくそれと匂わせるようなことを言ってみたいという衝動

告白して相手にされなかった時の恐怖心

実は相手も自分に好意をもっていたと知った時のつかの間の歓喜

相手の恋人に対する複雑な思いやる気持ち

やめといたほうが傷つかずにすむと考え、恋心を抑え込もうとする気持ち

これはよくヒット曲の歌のテーマにもなるが、しょせん片思いと自分を思い込ませ、自分を無理に納得させようとする切なさ
待つわ(1982年) あみん (youtube.com)

このように関係が複雑であればあるほど、複雑で微妙な感情体験ができるのも事実である

3.失恋しようが成就しようが関係ない?

人生の目的は愛を深めることである

したがって、誤解を恐れずに言えば、その人の恋が成就しようが、失恋しようが、不倫関係になろうが、出来事の結果は実は人生側からすれば、たいして重要ではないのだ!

ただ、激しい恋心をしっかり味わい

その気持ちを告白できずに、悶々とする時の気持ちを味わい

表向き、相手のことを考え我慢しているときの気持ちを味わい

我慢しながらも、相手がいつかは不仲になってくれるのを願う自分のエゴを感じ

それらから、相手にされない恐怖、不倫関係になった時の複雑な気持ち、相手の恋人に対するなんともやるせない気持ち、等々を感情豊かに感じ味わうことこそが求められているのだ

あるいは、行動に出れずに遠くから意中の人を見る時の感情も味わえる

もちろん人目を気にする気持ち、世間体なども

関係が複雑であればあるほど微妙な感情が体験でき、まさに愛を深める絶好のチャンスとなるのだ

しかし当の本人はそれこそ眠れぬ夜を何日も過ごして悶々とした日々になるかもしれない

その気苦労から解放されたくなるのも当然だろう

十分に感情体験せずに、例えば、道徳や常識や世間体などの理由で避けてしまった場合、

人生側は、今度は違う形のあるいは似たような出来事が十分に感じきるまで何度もやってくることもある

そして、あとから気づけば、その体験はその人の成長のため、愛ある人になるためのかけがえのない貴重な体験だったと知るのである

それはまるで、臨死体験者が、死後に自分の人生を細部にわたり傍らで見せられ、その時の気持ちの細部にわたり追体験した時

恋愛体験の真最中は無我夢中で気づけなかったのだが

自分がそれらの感情体験を積み重ねていくうちに、少しずつ愛ある人へと変貌する様をまざまざと見せられ

この一見偶然に起こっているかのように見える人生の一つ一つの出来事が、実は事前に設定され、完璧なタイミングで起こっていることを知らされるのである

結果、出会う人出会う人がまさに自分自身として感じられるようになる
完璧な幸福へと導かれていることを知るのである







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