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65.ズバリ保育観&価値観4900億/13【保育は生きる道】

保育は、人の生き方そのもの。当然と言えば当然です。

自分がいて、子が、そこにいたら、すること。

自分がいて、子が、明日も一年後もいるならすること。

では、千差万別の人生。

1人の人生が、自分以外の一人一人の保育に通用するのか。

否。

通用しない。

そう、通用しないのだ。

じゃ、どうすんのか。

求めて探すのだ。

探す?、、、どうやって?

自分の人生をもって。

自分の人生をもって、目の前の人の人生を探しにいく。

自分自身の人生は、今の選択決断次第。

目の前の人自身の人生も同じこと。

そして、

選択以前の、無意識に無自覚にコントロール下にない捉えどころのない多くのもの。

これが、それぞれに違っていて、確かにあることを、忘れがちなので、常に念頭に置いておく必要がある。

自分のことなのに、あること、あったことに、気づけないでいる自分がいる。

それは、一生涯では掘り尽くせなほどある。これまで紡がれてきた夢のお宝だ。

こんなお宝は、誰にも、一人一人にある。


さて、

分かったようにこうして書いてきたことは、

読んでくれる人に通用するのか。

しない。

しないのかい‼️

しないのです。

だけども、この、通用しない私自身の培ってきたものをもっていくしかない。

でも通用しない。

しないのかい‼️

🅰️誰かに寄り添う目的のためなら、

自分が持ってるこだわりを、手放すことも必要。通用しないのだから。


寄り添いたい。

その目的が、本気なのか。

本当に寄り添いたいのか。

本当に、寄り添うことが、目的なのか。

寄り添えたら、それでOKなのか。

寄り添えたら、自分はハッピーなのか。

寄り添えたら、もうそれで満足なのか。

🅱️自分のやり方を勧めて、自分のやり方でうまくいく満足を得たいのではないか。

それが、本当の目的で、

その目的を果たすために、

寄り添いたいと言っているのではないか。

本人の力で、本人が既に持ってるものをもって、

やってみて、うまくいかず、またやってみての繰り返し。

これを見た時、これを予想した時に、

何を思うのか。


【ここで、自分のやり方を勧めて、うまくいけば、相手が喜んで、自分も嬉しい。win-winで、いいやん。】

だとしたら、

うまくいかなかった時、何を思うのでしょうか。

【相手がまだ出来るレベルじゃないんだ】
【アドバイスしてるのに何で出来ないの⁈】

でしょうか。

そこには、『私は出来てるのに』、『私はwinなのに』
という思いは隠れてないでしょうか。

とすれば、目的は🅱️。

その人の身体。
その人のこれまでの人生。
その人の目から見える世界。
その人の考え。思い。

に、なって考えれるか。

脳外科手術のやり方を今、プロフェッショナルに完璧な手順の答えを直々に言われた直後でも、やれないように。


誰かにとって完璧なやり方の答えを、言われたら、出来て当たり前という考えが、

通用するのは、答えを持った本人だけ。


寄り添いたい相手にとっての完璧なやり方とは、イコールじゃない。



一歳の自分に立ち戻れるか。

やりたいのに出来ない、どうしたらいいか分からない、
そんな自分に立ち戻れるか。

自分でやり方を発見したい思い。

自分でやりきれるという自己効力感。

自分でやれるところを見せたい思い。


出来ないけど、手助けは欲しくない思い。

アドバイスはいらない、見てて欲しい思い

出来ない悔しい思いを分かって欲しいけど

がっかりしたり、無理だ、諦めろと言わないで欲しい思い。

やり方教えてるのにどうして出来ないのと怒るのに、

いろんな複数の思いが同時にある時は、こうやって言えばいいんだよ、というズバリ明快なやり方は言ってくれたことがないという、謎と、悔しい思い。


自分の人生をもって、通用しないのだけど、

理解したい。

少しでも。ほんの少しでも。


、、、、、、、、、😊


ありがとうございます😊


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