これは、自分の気持ちの吐露。 受け手にとって、受け取りたくて受け取りやすいものかというと、きっと違うんだろうな。 怯みたくなるところを、 こんなことしかできない自分から、 目を背けたくなりそうで、 書けなくなる自分もいて、 でも、それを見ていて欲しいんだ。 これでいい。 納得いかなくても受け入れ難くても、 今俺はここにいる。 いつも俺から。 俺がいるここから。 いく。
波があっていいんだ 波はあるんだ 波はうねるししずまるもの 感情の波のままに呑まるのじゃなく オールを使って目的地を目指すんだ。
いつか終わる日までに。 何事もない時に。 1番やっておきたいことからやっておく。 小さくてもとっても大切にしたいことを、 小さくやっておく。 サプライズじゃない。 驚かせたいのじゃない。 びっくりさせたいのじゃない。 小さくてもとっても大切なことで、 やっておきたいことなんだ。 透き通って向こう側が見えてしまうくらいに小さくていい。 すきとおっていていい。 すきちいたいこと。 シェアしたいんだよね。 発揮したいんだ。 自分でこんな時に使えるってことを 先行し
その人自身が、何かをやり遂げたいなら、 叶えたい状態と、現状との間に、 何があるのかに気づき、 自分の中にある能力才能個性に気づき、 それらを細分化して、 その細分化した一つずつを化学反応させていく 必要がある。 その化学反応で起こる現象は様々。 ドキドキ興奮、ソワソワ不安、ワクワク意欲、しーん退屈、ヒヤヒヤ半信半疑、えー絶望、 ヨシ確信、ほっと安心、、、、etc, 『やってみる&気づき』を繰り返す。 手伝うは、他者自身がやることを奪うこと。 手伝うは、自分自身に対し
どんなことをしてきた自分も、 どんなことをしていく自分も、 しようとしてしてきた自分も、 しようとしてないのにしてきた自分も、 しようとして出来ない自分も、 やってみて出来た自分も、 やってみて思いとは違うことが出来た自分も、 何をしたらいいか分からないでいる自分も、 失敗が怖くてやめた自分も、 失敗を責められることに疲れた自分も、 うまくいかなくて投げ出した自分も、 出来ない想像して自分を見限った自分も、 出来ないことがある自分を責めた自分も、 責めてしまった自分も、 ど
3年目のバッジをありがとうございます。 書いていない間、好き❤️をくれていたり、フォローしてくれているのを観て、嬉しかったです。 1番に書いておきたいことを書きます。 私には、アラ100の父がいます。 いつ何が起こるか分からないので。 思うだけじゃなく、 このnoteに書く行動によって、 記事という形にして、書き残します。 (noteさん読んでくれる人、ありがとう) 直接話したいことは山ほどあるよ😊 その中でも、1番に伝えておきたいことをここで書くよ。 お父さん、あな
コッケイ♪コッケイ♪文句だ〜♪ また文句♪また文句♪ コッケイ♪コッケイ♪文句だ〜♪ 文句を聴いたり、文句を思ったりした時、 そんな人間の日常と同時進行でスマイルを 咲かせてる花を見つけました。 きっといつもどこかて、スマイルを咲かせてる花がある。 そしてきっとどこかで、枯れていく花がある。 同じ時間に、同時進行で。 自分や誰かの中に文句を見つけたら、スマイル咲かせてる花を思い出し、枯れてる花を想像し、コッケイ♪の歌を口ずさもう。 そして深呼吸するんだ。 タイト
年内100投稿目指していましたが、その目標は叶わなくとも、道は続く。自分次第。 全て自己満でこれまでやってきたわけだからと、 初投稿で踏んだのスモールステップの様に、1.2行でも投稿することも出来るかなと思いましたが、 それでは自己満も出来ないと思ったのです。 いくつか、ミッションが発生して、そのために なかなか投稿出来ずにいる状況なのですが、 これまで読んでもらえたことで、嬉しくなったり、 元気が湧いたことは、自分の励みになっています。 うまくいかないことがあるこ
私自身を振り返る。 私はいつまで可愛かったのか? 人と比べてということではない。 目をつむって、子どもの頃を思い浮かべてみる。 いつまでの自分を可愛いと思えることが出来るのか。 高校生の時。、、、なんとかクリア。可愛い。 では、高校を卒業した後の自分は可愛いか? アルバムを見ながらこの記事を書いてるわけではない。 高校生の自分を、可愛いと、クリアさせたのは、内面の部分で、もっと小さかった、物心ついた頃と、心が引き続いているから。その内面の部分に引っ張られている。 ずっ
子どもが、ヒーローもののテレビや絵本に影響をうけて、黒い人形を使ってごっこ遊びをする時に、 『これで悪いやつやって!』と、リクエストを受けることがよくある。 そこで私は、 子どもの望みを叶えたい気持ちはあるものの、 世の中、悪いことをする人もいるけれど、それにはその人の人生、理由があることや、いいことをする面もあるなど、想像する力を養って欲しいと思っている。 それで、 朝食でパンを焼いたら焦がしちゃって、焦げてない方を家族に半分シェアして、笑って食べた後、散歩に出か
全受容する。 その言葉を聴いて、それ出来るの⁉️って思った自分がいました。 ある程度は受容できても、全部は無理がないか❓と、思いました。 親友の言葉から発せられた『全受容』。 これまでの親友を思い返して、あー、親友なら出来てもおかしくないかー。と、思い直しました。 で、自分はどうなの❓そう問いかけながら、日々を過ごしています。 『全受容は無理じゃないか』の言葉の裏には、 『ある程度の受容は出来るけど』の思いがあった。 でも、ある程度って❓ 自分は一体、どの程度
写真にボールを投げ当てる子ども。 違う的にしようと促すも、やり続ける子ども。 以前、子どもがボールを投げて、的を倒す遊びを、 外出先でやったことを思い出して、この遊びを思いついたんだと思った私は、 的あてをしたいんだね、でも、写真立てや、近くの物が壊れるかもしれないから、写真を的にするのはやめよう と、言うが、 子どもの的当て遊びは止まらず、そのうち、子どもが怒って、ボールを私に何度か当て始めた。 結局、子どもが嫌だと言い出し、私が意地悪した様な仕上がりになってしま
保育園や小学校、家庭で、生き物を飼ってた経験は あるでしょうか。 毎日私は、子どもと、カブトムシにゼリーをあげていました。 子どもが、ゼリーのフタを開けようとするも、最初と最後が、力がいるので、 私が1ミリ開けては、子どもに返してトライの繰り返しをしていました。 そんなこんながあって、ある日の朝、 フタがうまく開いて、ぬるぬるのゼリーが見えて、 少し触って感触を楽しんでる子どもに、 「あとちょっとだね」と、声をかけると、 ぐいぐい力を入れて、ゼリーに親指突っ込む
なんて可愛いんだ😃 乳幼児って存在は‼️ 可愛くない時や、抱きしめたくない時を、探す方が難しい。 何してても可愛い。怒っても泣いても可愛い。 でも、24時間抱きしめていては、 自分は『稼ぎなし男』、 子どもは『自立の機会なし子』に、なってしまう。 あんまりにも子どもが可愛いからといって、 自分のやることから、目をそらしていてはいけない。 子どもは、自立して、自分の手の届かない世界へ行く。 自分のすることは、そのサポート。 同時に、子どもがいる以前に、自分がす
子どもが、何かをやろうと、おもちゃと、おもちゃを、くっつけようとしている。 離しては、くっつけて、カチッカチッカチッ しばらくその行為は続く。 それが最後になるのは、いつなのか。 ちょっと他へ目をやった、その合間に、行為を終えていた。 あー、また見逃したか! 集中を遮らずに、何に気づき、何に心が、どの様に、 移っていくのか、見届けたい。 そう思って見るのだが、 子どもの集中するときのねばり、そして、切り替えの 速さは、すごい。 その分、 集中してる最中
保育は、人の生き方そのもの。当然と言えば当然です。 自分がいて、子が、そこにいたら、すること。 自分がいて、子が、明日も一年後もいるならすること。 では、千差万別の人生。 1人の人生が、自分以外の一人一人の保育に通用するのか。 否。 通用しない。 そう、通用しないのだ。 じゃ、どうすんのか。 求めて探すのだ。探す?、、、どうやって? 自分の人生をもって。自分の人生をもって、目の前の人の人生を探しにいく。 自分自身の人生は、今の選択決断次第。 目の前の人