手伝う相手は自分自身。
その人自身が、何かをやり遂げたいなら、
叶えたい状態と、現状との間に、
何があるのかに気づき、
自分の中にある能力才能個性に気づき、
それらを細分化して、
その細分化した一つずつを化学反応させていく
必要がある。
その化学反応で起こる現象は様々。
ドキドキ興奮、ソワソワ不安、ワクワク意欲、しーん退屈、ヒヤヒヤ半信半疑、えー絶望、
ヨシ確信、ほっと安心、、、、etc,
『やってみる&気づき』を繰り返す。
手伝うは、他者自身がやることを奪うこと。
手伝うは、自分自身に対してやること。
手伝うは、自分で自分を観察考察して、
今、自分に必要なことに気づいて、
それらを自ら獲得しにいくこと。
力や、テクニックや、スピード、、、etc,
獲得するためにどんな行動をとるのか。
望みを果たす目的のために、
自分なりにトレーニングを編出し、
トライしてくことが、やることで、
それが、自分で自分を手伝うということ。
現状の自分に対して、現状の自分のために、
『果たす自分』をイメージして創り出し、
その『果たす自分』が、
手取り足取り優しくやってみせる。
うまく出来なければ、気づきを得て、
『果たす自分』を再び創り出し、
スモールステップをやってみせる。
そして更に気づきを得て、を繰り返す。
他者のやることを手伝ってしまうことは、
他者の歩みを止めることになる。
自分の自分のことをやる歩みを止めてしまわないように、
他者にとって、
寄り添い、励まし、労い、応援、「転ぼうとも歩んでいくことで気づきや様々な力を獲得していく」というメッセージを伝えて、自分は自分のことをする。
見栄を張らずに、ありのままの自分が出来ることをする。それでOK。
自分は自分を生きる。
他者も他者自身の自分を生きる。
精一杯自分自身を生きていく時、
自分が他者にとって励みになってればいい。
手伝ってしまう必要はない。
転んでいたければ、そばにいてあげたらいい。
歩み出せるように、手当ての方法を知らなければ、教えてあげよう。手当が出来なければ、手当してあげよう。
それは、手伝いじゃない。
それこそが、他者の俺がやることサポートだ。
俺は、赤ちゃんの時、抱っこして包んでもらったんだ。
生まれた後、
放っておかれたら、100%死んでた命を、
抱っこされて救われたんだ。他者によって。
ただ、これも一切記憶の欠片もないけど、
俺も精一杯生きてたんだ。
俺のありったけの能力存分に発揮しまくって。
それがなければ命はそこで終わってた。
救われた命が自分。
生ききってきた命が自分。
救ってくれた命は、救われた命。
救ってくれた命は、生ききってきた命。
手伝ってはいけない。
生ききらないで生きることになるから。
傷を癒せない命は救おう。
人の命を生きることを手伝うとは違うんだ。
生きる命を救いたいから救うんだ。
生きようぜと労い癒し励まし応援するんだ。
俺だって
怖いし、ビビし、凸凹の、不完全。
それでいくんだ。もうエキサイティング😊
生ききって自分が成長していくんだ。
生ききるなら、
そこに命があるなら、救うに決まってんだろ。
生ききることが命を救うことなんだ。
弱さのある不完全なありのままの自分でさ、
生きるのさ。
やりたい方向が近い人はいるもの。
それは励みになり、
相乗効果で共鳴し合うもの。
さぁまたワクワクすることしようっ😊
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