留学生の鬼リアルな一年を爆速で振り返る
私は大学2年生の秋から3年生の春にかけてポルトガルに留学に行っていた。そして友人からのアドバイスもあり、留学中に「この気持ちを後から確認できるようにしておきたい」と日記を書く習慣が身についた。
日記を全て公開する訳にもいかないので、私が留学中に月ごとのまとめを記した手記を公開したい。
留学を考えている人の参考になれば幸いである。
9月
まさかのコロナ感染で出発が1週間遅れる。
しかもやっとポルトガルついたと思ったら不動産の手違いで済む予定の部屋がキャンセルされていた。仮の部屋に案内されるまで一日かかったので公園で野宿するいきなりのハードモード突入。でもなんだかんだ大学にも適応し、友達もでき始めたし、仮の住まいが観光地ど真ん中だったので毎日散歩するなど大変なりに楽しんでた。
10月
2回目の引っ越しの末辿り着いたのはパキスタン人だらけのアパートだった。初日に死ぬほど辛いビリヤニを振る舞ってくれて嬉しかった。でもその後連れていかれたクラブは音量バグってるわタバコの煙酷いわで大変な思いをした。この頃はちょっと勉強や生活についての焦りがあった。というのも、留学している他の友達は自分よりもっと効率よく勉強したりインターンしてるから「俺も何かしなきゃ」と必死だった。
11月
先程述べた焦りに加え、自分の日々が他の留学生に比べて淡白なことに気づく。でも人と比べても意味ないし、自分のペースで歩むことを決心。勉強してる感を出すために宿題以外にも観光学や英検の勉強をして充実感を得ていた。マドリードとトレドに夜行バスで行ってみたがトレド大聖堂の美しさに感動した。ピカソのゲルニカを生で見れたのも心に残るイベントだった。陸路で国境を越える体験ってなんかよかった。
12月
街がクリスマス一色に染まる中テスト勉強に励んでいた。しかし、鬼門の授業の単位を落としてしまった。「単位が落ちているのではない。俺が昇っているのだ」という名言が生まれたのもこの時。テスト後はポルトに行ったり、友達とイタリア&ポルトガル旅行したり充実してた。イタリアは景色も綺麗だし、食べ物も美味しいし最高だった。何より友達と旅行するのが楽しかった。
1月
両親が来葡したので案内した。喜んでくれて良かった。その後体調を崩したり、飛行機に乗り遅れるなどトラブル続きだったがなんとかタンザニアに辿り着く。現地では何もかもが新しくて興奮した。街の人はフレンドリーで食べ物も美味しくて毎日楽しかった。保育所の子どもたちとも交流が出来て、言葉はなくても心を通じ合わせることができると学んだ。マサイ族のジャンプ力はガチ。
2月
なんとサークルの幹事長になってしまった。留学中でも役割を全うできるかの不安はあったが、大好きなサークルの運営に携われるのは自分にとって幸運で、新歓企画を立てる毎日は充実していた。スタバで勉強するのにハマるのもこの頃。新しく取った演劇の授業では、感情の出し方、演技の魅せ方など学ぶものがとても多かった。ヨーロッパ人は演技が上手過ぎる。
3月
とにかくWBCが楽しかった。毎試合見どころが盛りだくさんで元気を貰った。特に準決勝決勝は今まで観た野球の試合の中で1番面白かった。この時期はカスカイスやマフラなどのリスボン近郊の観光地にも行ってみた。サークルの方も引き続き新歓、追いコン、プロジェクト管理と関わる部分が大きくてやりがいがあった。この頃インスタ運営に興味を持ち始める。
4月
リスボンはサマータイムに移り変わり、すっかり春らしくなった。海も緑も綺麗で最高の季節だった。アゾレス諸島のテルセイラ島に1週間くらい滞在してみたが、今までの旅行先で1番といってもいいくらい良いところだった。自然も街並みも食べ物も何もかもが大好きだった。いつもより長く滞在することで見えてくるものがあることに気づいた旅だった。月の後半はテスト勉強に勤しんだ。
5月
上旬は期末テストに向けて勉強してた。全日程終えた後は充実感と少しの寂しさを感じた。特に劇を作ったメンバーと離れ離れになるのは寂しかった。ポルトガルのいろんな街にも行けて、お土産もたくさん買って、なんだか観光客みたいなムーブができた。後半はスペインを自転車で横断するサンティアゴ巡礼を敢行。楽しかったし何より学びが多かった。一生の思い出となる旅が出来た。
6月
サンティアゴから帰ってきてすぐにトゥールーズ、マルタに向かった。クレジットカードが2枚とも壊れたのでなけなしの金で貧乏旅が始まった。マルタでは優しい宿主とかわいい犬と最高の景色があった。たくさん観光をした訳ではないけど、とてもゆったりする時間を過ごすことができた。最後はリスボンを観光し、いよいよ日本に帰った。ほんの少しだけヨーロッパを離れる寂しさを感じた。
今回はざっくりと一年間を振り返ったが、留学中の詳細な出来事などはまた別の機会に書かせて頂く。
留学中は心理的な不安を感じたり、トラブルに巻き込まれる事も少々あったが、なんだかんだ終わってみれば全てが自分の成長に繋がった良い思い出である。
「人生死ななければ十分」と気づけたことは私の財産になった。
終
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