最終面接を目の前にして最後のアウトプット
明日、第一志望企業の最終面接が東京であります。率直な今の気持ちは「あー明日か」くらいです。あまり緊張は感じず、とりあえずこのnoteに自分の気持ちをだらだらと書いてアウトプットしたいなあという感じです(笑)
私が面接に緊張していない理由は、その企業の面接が面接ではないからだと思います。一般的な面接は、ガクチカや志望理由を聞かれると思うのですが、私が受ける面接ではそのようなことはあまり聞かれず、「何を問題視しているのか」「なぜそのような気持ちになるのか」ということを深く聞かれます。
その会社は人材系なので、働くことに関しての私の意見を聞かれるのですが、本当に面接なのか?というレベルで話をします。
以前、役員面接を行った際に担当役員の方との話で印象的だったのは「責任感」の話でした。
教育やしつけや生活の中で、人は小さいころから一定の価値観や概念を押し付けられて生きていき、一般的な感覚(ここでは日本人の感覚)を身に着けていく。それって子供に意思がないから親がいいと思うものを子供に無責任に与えているだけではないか?という議論になりました。
私はこの話を聞いてすごく納得しました。確かに子供は何もわからないけれど、親や先生がいい・悪いと決めたものや一定の解釈が入ったもののみを与えることは子供の選択肢を未然に奪っているに過ぎないなと思いました。
またさらに、その役員の方は子供の選択についてデンマークの教育の話をされていました。デンマークではすべて自責で教育がされていくため、教室で授業を受けなくてもいいしゲームをしていてもいいけれどその行動の責任はすべて自分で請け負わなければならない。まるで大人の社会のような話ですが、子供に責任がないと決めているのは日本社会であって、デンマークでは普通に行われていることです。
子供のころから自分の選択権を持つことで、どう生きるかということを自分の意思で決めることができるために、とても納得感をもって行動ができると思います。
これは一番心にストレスがない状態です。どんなこともすることができるししないこともできる。個人個人のタイミングや価値観によって選択ができることは、否定がないことでもあるので幸福度はかなり上がると思います。
ここまで話してきたことは、子供の責任感の話でしたが、これは大人に関しても言えることです。特に、日本の大人はいつも政治家や組織や会社のせいにして日々を過ごしている場合が多いなと感じています。なぜこれをやらないんだ、そんなことをするから失敗するんだという意見は、外部の人が見て文句を言っているだけにすぎません。
本当に想いがあれば、まずは自らが行動を起こすことから始めると思います。でもやらない人が多い。これはやはり責任がないからだと言えます。自分に責任がないから行動を起こす理由もないのです。
誰かがやる(someone's way )ではなく、自分がやる(my way)ことで幸福度も納得度も上がります。自らが選択して決めること以上に幸せなことはあるでしょうか?
単に政治や教育における話ではなく、人生においてどう生きるかという面に関してすべて自分の意思決定で進むことができることで幸福度は爆上がりです✔