岩国市の薄切り牛肉入りお好み焼の由来を調べて驚いた
お好み焼には豚肉を使うのが当然と思われるかもしれない。
しかし、現在のお好み焼のルーツと考えられている明治時代の肉天(牛天とも呼ばれた)には牛挽肉が使われていた。
明治初期は鶏肉が最も高価で、次に牛肉、最も安い肉は馬肉だった。
豚肉は鹿児島県や沖縄など一部で食べられていたが、一般的ではなかった。
しかし、本格的な西洋料理や中国料理が東京を中心に広まり始めると、徐々に豚肉が食べられるようになっていく。
大正7年には東京における豚肉の屠畜量が牛肉の1.4倍となり、庶民の料理であるお好み焼は豚肉が主流になったのだ。
それは現在のメニューからも読み取れる。
大阪市を中心に食べられている混ぜ焼きの最も基本となる料理は豚玉だ。
そのことについては生粋の大阪人も異論がないだろう。
では肉玉はどうか?
現在ではメニューから消えている店も多いが、使われるのは牛挽肉なのだ。
元々、牛挽肉を使う肉玉があり、後に豚バラ肉を使うようになったので、それを豚玉と呼んだのだ。
もし最初から豚肉を使っていれば、豚が肉玉で、牛が牛玉になっただろう。
昭和21年創業、大阪の老舗「おかる」のメニューには牛挽肉を使う肉玉が残っている。
しかし、池波正太郎が書いた「牛挽肉」とは、現在スーパーで売られている牛挽肉と同じものだろうか?
肉天という最も古い表記が残る兵庫県を食べ歩き、牛挽肉とはスジ肉の挽肉だったのではないか?と考えるに至った。
小僧が買い食いできる値段なので、良い部位は使えないし、屋台には冷蔵設備がないので、茹でた肉が使われていた。
あらかじめ茹でて置くのであれば、安い上、茹でて柔らかくなるスジ肉が合理的な選択になるだろう。
「お好み焼きの物語」の作者、近代食文化研究会さんに訊いてみると「私もそう考えているので、本の挿絵には牛スジ肉と指定しました」と答えてくださった。
僕の立てた仮説は、とうの昔に彼が想定したものだった。
挿絵までちゃんと読んでいなくて恥ずかしい思いをした。
しかし、岩国市にはスジ肉の挽肉ではなく、生の薄切り牛肉を使う文化があるのだ。
その理由を探って行こう。
なお、地政的に広島市の影響を受けやすいため、牛肉入りを扱う店は減り続けていて、少し前まで4店あったが、現在では3店になっている。
かたぎり食堂(閉店)
最初に岩国市錦見七丁目の住宅街にあった「かたぎり食堂(閉店)」を紹介しよう。
焼き方は広島オールドスタイル(一銭洋食の直系)の手順を少し変化させてあった。
モヤシが入るのは広島市の影響を受けたものと考えられる。
お好み焼にモヤシを入れるのは広島市が発祥で、呉市と岩国市がその影響を受けた。
広島県内でも三原市、尾道市、府中市、福山市では入れない。
タコを使うのは珍しいので頼んでみたが、後述する老舗「たつみ屋」にもあったので、昔は一般的だったのかもしれない。
味美
二軒目は岩国市新港町「味美」だ。
創業は昭和55年頃(1980年)で、最初の8年間は混ぜ焼きを出していたが、客に怒られて重ね焼きに変えたとのこと。
つまり、肉玉(牛肉)と豚玉を出していたから、その流れで牛肉入りもやるようになったとのこと。
他の店で牛肉入りの重ね焼きを提供していることはご存じないようだった。
焼き方は下から生地、野菜(キャベツ・モヤシ)、中華麺、牛肉、玉子の順で、完成形は備後尾道スタイルや備後府中スタイルと同じだが、手順は異なっていた。
店主曰く、自己流とのことなので尾道市や府中市とは無関係のようだ。
たつみ屋
三件目は昭和46年(1971年)創業、錦帯橋近くにある「たつみ屋」だ。
創業時はもっと錦川に近い場所だったとのこと。
残念ながら調理されている鉄板が遠く、調理過程の写真は撮れなかったが、短めの牛肉が6枚以上使われていた。
野菜はキャベツ、モヤシだけでなく、タマネギも入っていた。
お多福
新しそうな店だがルーツを辿れば昭和15年(1940年)頃創業の食堂であり、その頃にも一銭洋食を提供していたとのこと。
一時閉業していたが、平成元年になって初代がもう一度お好み焼をやりたいと言って始めた店で、現在は初代の娘さんである二代目がフロアを担当し、二代目の息子さんが三代目として焼いておられる。
お好み焼の焼き方は、一銭洋食時代から続く大老舗だけあって、生地、麺、野菜、肉の順に積み上げる広島オールドスタイル(一銭洋食の直系)。
蒸し麺は焼そばソースで下味をつけていた。
昔はウスターソースだったのかな?と想像できる。
キャベツの量が驚くほど多いので、三代目にスゴいですねと言うと
「キャベツの量は僕の代になってメッチャ増えました!」
とのこと。
若者が自分の食べたいボリュームで焼いているのだろう。
豚肉の場合は、本体の上に豚肉をのせてからひっくり返して焼いているが、牛肉の場合は、牛肉をのせずにひっくり返し、野菜が十分に加熱された後、再びひっくり返して牛肉をのせ、それを再度ひっくり返す。
理由を訊くと
「牛肉はあまり焼かないほうがおいしいんです」
と「味美」の女将さんと同じことを言われた。
昔から牛肉入りがあったんですか?と二代目に訊いてみると
「一銭洋食の時代はチクワやカマボコでした。
食堂は戦後すぐに再開したのですが、初代の夫がアクティブな人で『これからは外人相手のクリーニング屋が当たる』と言ってクリーニングを始めたんです。
妻が食堂をやり、夫が食堂を手伝いながらクリーニングをやっていたんですね。
そのため、岩国基地にはクリーニングの配達で出入りしていて、そこからよく牛肉を持って帰ってくれてました。
戦後すぐにローストビーフを食べた記憶があります」
とのこと。
えっ?もしかして牛肉は岩国基地から?と問うと
「そうです、基地の外人さんは牛肉好きなので、岩国には戦後から基地経由の牛肉が出回ってました」
と言われるではないか!
当時の広島市では肉なしが普通なので、肉入りを注文されたら、その場で肉屋へ買いに走ったと聞いた。
しかし、岩国市では基地経由で牛肉が比較的出回っていたのだ。
一銭洋食だろうと、お好み焼だろうと、タンパク質系の素材を入れたほうがおいしい。
でもそれがないから、チクワやカマボコ(ほぼ小麦粉)で代用したが、牛肉を使えるならそのほうがいいに決まっている。
ただお好み焼に入れるのだから、塊肉は使いにくいし、何より値段が高くなってしまう。
そこで薄切りにしたのだろう。
いやはや、まさかお好み焼に岩国基地が関わっていたとは思いもよらなかった。
また、三代目によると基地のお客様はほぼ100%牛肉入りを選ばれるとのこと。
この話を聞いて、外国からのお客様が多いお好み焼店では、豚肉だけでなく、牛肉や鶏肉というオプションを用意するというのは一手ではないか?と思った。
焼くときにラードを使う店が多いし、一つの鉄板を使う以上、厳密なハラルフードは難しい。
しかし、肉の種類が選べるだけでも喜ばれるはず。
お好み焼のルーツは牛天(肉天)と呼ばれる牛スジ挽肉入りの料理だし、大阪府岸和田市のかしみんのように鶏肉を使うお好み焼もある。
それぞれの肉の特性に応じて工夫すれば、もっと料理的向上が見込めるはず。
検討する価値はあると思う。
お好み焼に限らず、ローカルフードの特異さは、土地の記憶と繋がっていることが多い。
それにしても、岩国基地の存在が、お好み焼に影響を与えていたとは...。
岩国市の薄切り牛肉入りお好み焼は、戦後を逞しく生き抜いた庶民の歴史と生活に思いを馳せる料理だった。
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