20歳の夏、人生の分岐点での決断
Hello,大家好。我叫小冰!
皆さんこんにちは、シャオビンです。
一番最初の自己紹介記事でも少し触れましたが、私は4年制大学を2回生をもって中途退学、1年後に学部変更&別の大学へ3年次編入学をしています。
今年で25歳、遂にアラサーの仲間入りです。
5年前、悩みに悩み下した決断は正しかったのか。その答えが清華大学大学院合格という形でやっと返ってきたところで、当時の出来事や悩みをここに書き残しておきたいと思います。
そして、悩める若者が編入学や学部変更を選択肢の一つとして視野に入れてくれると嬉しいです。
人生の岐路での決断
大学2年生の夏、言語聴覚士(ST)を目指していた私は難病を専門とした病院へ実習に行き、そこで大学を中途退学することを決断します。
言語聴覚士(Speech Language Hearing Therapist)とは
リハビリ分野で活躍する専門職で、理学療法士や作業療法士と並ぶ国家資格。病気や障害などにより、話すことや聞くこと、食べること、飲み込むことが難しい人に対して、様々な方法で改善を支援するスペシャリスト。
学んでいた専門分野が嫌になったとか、そういった理由ではなく、患者さんに感情移入し過ぎてしまうというのが一番の理由でした。
現在は医療事務をしているのですが、患者さんが亡くなったとかいう話を聞くとやはり辛いです(笑)
勿論、医療職というものは気持ちを切り替えなければ続かない仕事です。ですが、死を前にした患者さんやご家族の方と実際に接し、お話しし、私はその感情移入した気持ちを捨てたくなかったんです。どうしても、気持ちを切り替えることができませんでした。
もうその実習から4年ほど経っていますが、未だに担当させていただいた患者さんのお顔も、症状も、お話しした内容も鮮明に覚えているくらい、私には患者さんの命やお気持ちがずっしりと重くて、大切だったのです。
養護学校や老人ホームの実習や見学では感じたことのない感情。
多くの患者さんと接すれば接するほど、私の心は耐えきれずに壊れてしまうと本気で感じました。
実習3日目だったかな。私は指導してくださっていた先生に相談することなく、実習を中止してもらいました。丁寧にご指導してくださっていたにもか関わらず、本当に失礼な事をしてしまったと反省しております......この場を借りてお詫び申し上げます。先生、本当に申し訳ございませんでした。
そして、「君は本当に優しいね、(指導担当の)先生みたいに良いSTさんになれるよ。頑張ってね。」と一か月ぶりに出た声で、途切れ途切れに言ってくださった患者さん、ごめんなさい。私、先生みたいになれませんでした。
あの実習を思い出すとどうしても感傷的になってしまうのですが、医療職が自分には合わないと、大学2年の夏に気付けたのは次の一歩を踏み出す上で良かったのかもしれません。
小学生の頃はブラック・ジャックに憧れ、将来医者になりたいと思っていました。中学生で手術・入院を経験し、医療ミスを受けた事がきっかけで医者と看護師になるのは怖いと思い諦めたのですが、それでもずっと憧れていた医療職。STは自分に合っているかもしれないとこの道に進んだものの、憧れと現実の違いを目の前に“またか”とショックを受けました。
しかし、落ち込んでばかりもいられない。
本当にSTは向いてないの??
大学を辞める??
辞めて出来る事がある??
自問自答の日々が続きました。
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3年次編入学に向けて
大学中退は即決・・・とまではいきませんでした。
大学の友人関係も最高に良かったし、それまで国家試験に向けて必死で勉強していたのに急に辞める決断などできませんでした。
就職先を選べばそこまで辛くないかも?感情移入してしまうのはちゃんと患者さんに寄り添えている証拠じゃないのか?
たくさんの方に相談して、悩みに悩み、最終的に自分で中途退学を決断しました。
退学する時期は、3年次編入学をするために2回生を全うしてからに。なので2回生後半は、成績は編入学にも響いてくるので真面目に通っていました。
さて、じゃあどうするか?高校時代は物理・化学・地理選択のゴリゴリ理系でしたが、2年も勉強していないのでもうほぼ忘れているし、特に行きたい学部もない。
中国の大学の本科に進学も検討しましたが親に反対され断念。その頃は中国政府奨学金のことなど全く知りませんでした。なんせ周りに中国に携わっている人がいなかったので.....タダで留学できるシステムがあると知っていたら親のことも説得しやすかったかもしれません。
その頃は既にHSK4級を取得していました。やはり一番やりたいのは中国語。でも中国語ってツールだからなぁ......中国語学科に行きたいわけじゃないんだよなぁ......プラスαの専門性が欲しいんだよなぁ......
そう考えた私は1年間、3年次編入学に向けて経済学と中国語、ついでに英語も(編入試験では英語で足切りする大学が多かったので)必死に勉強しました。あと小論文もかな。
当時の中国語の勉強方法は過去の記事をご覧ください。
一応元理系なので経済学は特に問題なかったのですが、英語に苦しみました。苦手意識を持っているからか、中国語のようには上手くいかず伸び悩む日々......
そんな時、母校の某学部を見つけました。
《《愛知大学 現代中国学部》》
隠してもすぐばれてしまうと思うので開き直って宣伝しますね!?
学生の質は......( ^ω^)・・・ですが!素晴らしい先生方が多くいらっしゃる上、中国のことを勉強したい人間にとって最高のプログラムが組まれています。この環境を生かすも殺すもあなた次第、そんな大学です。
オープンキャンパスへ行った際にHSK5級があれば尚良いと聞いたので、編入試験には間に合わなかったのですが、入学までにHSK5級を取得。そのおかげで入学後、中国語で他の学生に後れを取ることはありませんでした。
編入試験で前の大学の退学理由を聞かれ、話しているうちに色々思い出しちゃって泣いてしまったのはいい思い出です☆合格したから結果オーライ!
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支えてくれた方々、周りの反応
私の周囲の反応は恐らく、ほとんどが賛成だったと思います。
両親は退学の理由を聞いて納得はしてくれたものの、中国関係の道に進むことにはずっと反対していました。なので説得するためにも、最初は経済学部へ行くと伝えており、私もそのつもりでした。
(本当は国立大学を受ける予定でしたが合格したら経済学部に行かなければならなくなるので、親には滑り止めと伝えて母校のみを受験し、母校しか受からなかったと言って無理やり母校へ進学しました。申し訳ないと思っていますが、こうでもしなきゃ行きたいところに行けなかったので堪忍な!!!ここだけの話ですよ?口外禁止です。親にばれてるのかな......もしかしたら既にばれてるかもしれませんけど。)
大学の友人は私が推しの為に必死で中国語を勉強しているのを知っていたので、「一緒に卒業してSTになりたいけど、シャオビンちゃんがやりたい事をやればいい。」と皆が背中を押してくれました。交換留学へ行く時も見送りに来て私なんかの為に涙を流してくれたり(当時は一年後にはまた会えるのにと思っていましたがコロナで2年以上会えていない)......マジ皆良い人過ぎました。大好き。
オタク仲間は程よい距離感を保っていますので、ある意味無責任な感じで応援してくれていました。悪い意味はなく、ただ遠い友達を心のどこかで気にかけてくれているような感じ。ライブがない限り私たちのオタクはほぼ会うことはないし、全く違う生活圏を生きているので。
当時バイトしていた中華料理屋の店長、先輩、同期、パートのおばちゃん、皆優しかったです。学生を長くやっているので色んなバイトをしてきましたが、一番長く勤め、一番楽しかったバイト先でした。先輩は「中国のこと嫌いやけど、お前が中国の良い所教えてくれや。」と言って編入試験を経験したことのある友人を私に紹介してくれたり......
振り返ると、私は友人を始め、周囲の人間関係に恵まれていたのだなぁと改めて感じます。5年の月日を経て、多くの方に良い報告ができて本当に嬉しいです。
親から応援されていない私にとって、応援してくれる全ての方の存在が私の心の支えとなっていました。多分これからも、ずっと。
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なかなか親の理解を得られない皆さんへ
私も未だに両親の理解を得られていませんが、結果を出していく私を見て、反対はしなくなりました。大学院進学も色々条件付きで承諾してもらったのですが、まぁ今後のことは私にも分からないので。約束を守るか守らないかはその時の私次第(笑)私の人生ですから、私が決めます。
そんな私のように、なかなか親の理解を得られない皆さんへ
大丈夫、あなたを応援してくれる人はきっといます。
一人で悩まずに周囲の方に頼ってください。それで不快な思いをしたならその人との人間関係はそれまでなのです。
多くの人と出会って、自分を心から応援してくれる人を大切にしてください。
家庭環境は人それぞれ、家族だけが心の拠り所でなないはずです。
私の心の拠り所は、友達歴18年の親友。
進路のことや親のことを相談したことは皆無といっていいほどないのですが、私が落ち込んでいたりイライラしていたら「うまいもん食いに行くぞ!」「飲みに行くぞ!」と暗闇から明るいところへ引っ張り出してくれる、そんな人です。
私は彼女を一生大切にすると心に決めています。(プロポーズか)
皆さんも、人生の岐路に立たされた時、そんな風に思える人が近くにいるといいですね。
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悩んだ時は“5年後の自分を想像する”
そして、悩んだ時に私がいつもしていることは“5年後の自分を想像する”、です。
これはオタク仲間から教えてもらったのですが、5年後どうなっていたいか、どういう自分でありたいかを考えることで、そこから逆算して今やるべきことが見つけられる、というものです。
5年後が難しければ3年後でも大丈夫です。
少し先の自分を想像して、その目標に向かって頑張ってください。
5年後の私は......30歳............!!
よっぽど研究したい事がなければ、博士課程には恐らく進まないと思いますが、中国で働き、中国に永住したい。結婚は......いい人がいれば!笑
改めて周囲の方へ感謝し、20歳の時の勇気ある決断とこれまでの努力を褒め称えたいと思います。30歳の自分に褒めてもらえるよう、また頑張ります。
悩める若者よ、自分を信じて突き進め!!
では、また来週!再见!