私の人生を変えた推し
Hello,大家好。我叫小冰!
皆さんこんにちは、シャオビンです。
2012年4月8日
それは私の推しであるチャン・イーシン(张艺兴)が所属する韓国アイドルグループ“EXO(エクソ)”のデビュー日。
という事で更新日の日曜日ではないですが、EXOのデビュー9周年を祝うとともに本日は推しについて語りたいと思います。
9年前に推しに出会っていなかったら、今の私はないでしょう……
推しとの出会い
推しとの出会いは遥か昔私が高校1年生の夏か秋頃(うろ覚え)
同じ部活だった友人が当時まだEXOメンバーであったホァン・ズータオ(黄子韬)の写真を見せてくれたのがきっかけでした。
“当時まだEXOメンバーであった”というのは、EXOには元々チャン・イーシンやホァン・ズータオを含め4人の中国人メンバーがいたからです。当時のEXOは中国人メンバーが所属するのがEXO-M、韓国人メンバーのみはEXO-Kと名付けられ、それぞれの主な活動地が中国と韓国で分かれていました。
しかし、ウー・イーファン(吴亦凡)を始めとし、ルー・ハン(鹿晗)、ホァン・ズータオと相次いで脱退。現在、中国人メンバーはチャン・イーシンだけとなってしまいました。
これはオタクにとってとてもデリケートな話題なので話を戻します。
その友人が見せてくれたホァン・ズータオの超キメ顔スーツ姿の写真が私の心を鷲掴みに。EXO-Mの集合写真でした。スナイパーみたいな目元がとてもカッコイイと思ったのを今でも覚えています。
↑ この時の立って並んでる写真だったんですが、見つけられず......
デビュー年、2012年の写真です。
左からTAO、CHEN、XIUMIN、LUHAN、LAY、KRIS。
いつ見ても顔がイイな。
それまではアイドルなんて歌もダンスのプロに比べたら...ねぇ?と思っていたんです。
しかし、EXOの動画を漁るうちにそんな考えなど消え去り、いつの間にか沼にハマっていました。
しかもきっかけとなったホァン・ズータオの沼ではなくチャン・イーシンの。
EXO-Mの情報を漁れば漁るほど、チャン・イーシンの虜になっていました。彼のダンスの力強さ、切ない歌声、謙虚さ、純粋さ、努力を惜しまないところ、ぽわぽわした天然気質、イケメン、可愛い、色白。。。魅力の塊では!?!?
彼の一番好きなところは何事にを全力で努力し、夢を夢で終わらせないところ、です。
伝われ、推しの魅力。
そんなこんなでチャン・イーシン沼にハマってしまった私は、中国語も分からないのに、彼が出演する番組やラジオは全てチェック、雑誌もチェック、というオタクぶり。英語訳や日本語訳を見て内容把握していました。
ただ、日本語訳をされている方は当時とても少なく、英語も得意ではなかったので、自分で中国語が理解できるようになりたいとこの頃から思い始めました。推しの言葉を知りたいって思うのは当然じゃないですか???え?違いますか??異論は認めます。
しかしもうすぐ受験を迎える大事な時期。私の通っていた高校には中国語の授業はなかったので、趣味で中国語を独学するなんてとてもできませんでした。(地元では一番の公立進学校だったので課題も膨大な量だった。)
反韓・反中意識の強い両親
これ、中国語学習者で同じ悩みを持っている方、きっといますよね。
今でこそ私を応援してくれている(というか諦めてくれた)両親ですが、EXOにハマって中国語verの曲ばかり聴いていたあの頃は本当に辛いことを言われたものです。
中国語なんかよりも英語を聞けと、ステレオのスイッチをブチ切りされたのはショックでしたね。CD痛むやんけ。更に中国を侮辱する言葉も何度も言われました。高校生の時だけでなく、それ以降も、そして今も。(言われる頻度はかなり減りましたが。)
何十年も生きてきた人の固定概念を変えるのって本当に難しい。理解してくれとか、応援してくれとかそこまで贅沢なこと言わないから、否定しないでくれと私は声を大にして言いたい。世界中の子を持つ親に。
まぁ、大学受験を控えた高校生なんて大半反抗期ですから、私も例外ではなく全く親の言う事聞かずにひたすら大好きなEXOの曲をエンドレスで聞いていましたけどね。
今思えば、これが後々リスニング力やスピーキング力を上げる助けになっていたのでは?無意識に耳を中国語に慣らしていたっぽいです。
オタ活の活発化
その数年後、そんなこんなで大阪の某大学医療系学部に進学した私。
やっと自分でお金を稼ぐことができるようになり、中国語のテキストも推しのCDやDVD、コンサートチケットも自由に買えるようになりました。
オタ活で人脈が広がったことが、私の考え方を大きく変えたと私は思っています。
これまでTwitterやWeiboで多くのオタク仲間に出会いました。コンサート会場では実際にネット上で仲良くなった方とお会いしてお菓子交換をしたり、話に花を咲かせたり。コンサート終了後は中国料理屋でコンサートの感想と推しへの愛を語り合う......オタクじゃないと普通あまり経験しないことなんじゃないでしょうか。
年齢も職業も、住むところも違って、ただ一緒なのは同じアイドルグループが好き、若しくは推しが一緒、という点だけです。好奇心旺盛な私はその異空間がとても好きでした。
私は幸運にも素敵なお姉さま方と仲良くなる事が多く、少し先の人生を歩む方々のお話はとても刺激になりましたし、視野が広がりました。
実際、“編入学”というのもTwitterで知り合ったオタク仲間の方がレベルアップのためにされていたので、私の中にも編入学という選択肢ができたのだと思います。
そして、素敵な生き方をしてる、目標にしたい、この方のようになりたいと思える方に出会えたのもラッキーでした。その方は今でも私の憧れの存在です。
中国語の独学
先ほどWeiboでも多くのオタク友達と出会ったと申し上げましたが、Weiboのアカウントは高校3年生?くらいで作り、英語で中国人のファンの方と交流していました。
大学に入ってからは高校時代よりかは時間に余裕ができ、独学スタート。
HSK公認テキストを1級からコツコツ...
それと同時にユーキャンのピンズラー標準中国語もリスニング力とスピーキング力をつけるために利用しました。
単語はアルクのキクタンを。片道1時間半の通学時間に毎日聞いていました。
とは言っても毎日するのは単語くらい。本業の勉強もしなければならなかったので長期休暇に集中的に勉強することがほとんどでした。
※独学の詳しい内容については別の記事にまとめたいと思います。
Weiboで仲良くなった同年代の中国人女性。HSKを初めて受験する前にリスニングの練習に付き合ってほしいと頼み、彼女と初めて電話をしました。
“チャン・イーシン”という名前の発音訓練で終わったけど。
张艺兴!!
Zhang!Yi!Xing!
前鼻音(n)と後鼻音(ng)の違いって難しいですよねぇ......(遠い目)
現在彼女は結婚し、お子さんもできて、でもたまにオタ活もしていて、とても幸せそう。そして何よりいつも私の中国語能力向上を喜んでくれる。
まだ会ったことはないけれど、いつか会いに行けたらいいなぁ......なんて思っています。彼女も私と同じ気持ちだと信じたい。
写真:CHERE MAMIE
大学中退からの3年次編入学
これは書き始めたらあまりにも長くなってしまったので、また別の記事で詳しく書きますね。今回は簡潔に。
大学2年生の夏、私は難病を専門とした病院へ実習に行き、そこで大学を中途退学することを決断します。
私が患者さんに感情移入し過ぎてしまうというのが一番の理由でした。
退学は即決でした。じゃあ辞めてどうする?
その頃にはHSK4級取得済み。やはり一番やりたかった事は中国語でした。でも中国語ってツールだからな、プラスαの専門性が欲しい。そう考え、取り敢えず経済学を勉強しながら悩んでいた時期に見つけたのが、つい先日卒業した母校でした。
中国語を独学していなければ、私は何をしていいか分からなかったかもしれません。
初めての一人暮らし
ずっと実家住みだった私は編入学をきっかけに、名古屋で一人暮らしを始めました。
それをいいことに私はオタ活に拍車をかけ、チャン・イーシンの中国最大のファンサイトでTwitterスタッフを始めました。
与えられた仕事は主にチャン・イーシンの情報(主に中国語)を英語に訳してツイート、チャン・イーシン公式情報をリツイート、みたいな感じでした。そのファンサイトには当時日本人は私しかおらず、日本語案件は私に回ってきていました。
留学が決定し、学業が忙しくなってからは、ごめん!一年は無理そう~と言ってフェードアウトし、結果現在まで2年放置。今は幽霊部員と化しています(笑)チャットグループにはまだ所属している......
これもなかなか良い経験でした。
英語も忘れない程度に使えたし、他のスタッフもアメリカ、カナダ、タイ、中国と多国籍で、共通語は基本中国語で時々英語。常に推しの最新情報が入ってきていました。(ここが一番のメリット)
全員が筋金入りのオタクなので、ツボが同じ。
推しの良さを一番共有できる最高の仲間でした。
1年間の交換留学@南開大学
南開大学では交換留学で1年間、漢語言文化学院の学生として勉強。
留学前はHelloTalkという言語交換アプリ?を愛用していたのですが、そこで仲良くしていた人と実際に数回会い、お付き合いを始めました。それまで推しが好きすぎて、ちゃんと恋愛をしたことがなかったので、私の人生に【初カレ=中国人彼氏】というパワーワードが誕生。
恋に溺れてしまった乙女な私は、オタ活をないがしろにしていました。(1、2時間に1回の情報チェックが週1程に)
しかし勉学には励んでおりました。
中国語の授業の他に、日本語学科の翻訳・通訳の授業や文学部のメディア系の授業に侵入し(一応担当教員に許可は貰いました)、オール中国語で学べることの喜びを感じていました。
また、南開大学の大学院生の留学生数人と仲良くなったことがきっかけで、大学院進学を真剣に検討するようになりました。(ずっと親に反対されていたのでどう説得しようか悩みました)
大学院へ進むなら学部は?翻訳や通訳も好きだけど、好きを仕事にしたくはないなぁとか、中国語教師とか日本語教師も性に合わないし、経済学も特に......と留学生活後半はそればっかり考えていたと思います。少しでも興味のあるものには手を出し、人に話を聞き、悩みました。
留学生活後半に文学部のメディア系の授業を聴講しに行ったのも元々メディアに興味があったからです。色々考えているうちに、ふと高校時代にWeiboでアカウントを作り、初めて中国人と交流した時のことを思い出したのです。
高校生の頃の私は、いくら推しが中国人とは言え中国に対し、少なからず偏見を持っていました。ステレオタイプ化された情報を信じきっていたんです。
Weiboを通じて中国ファンの方々と交流することで、中国人ってこんなに優しいのかと驚き、それまでの無知の自分を恥じました。
日本人にもっと中国を知ってほしい、興味を持ってほしいという気持ちはその頃に芽生えていましたが、その思いを行動に移す第一歩がメディア関係の授業の聴講へ行ったことです。
これがまた楽しかったんですよね。私好みの学問でした。これが後々大学院進学、学部選択に直結する理由となります......
恋に現を抜かし推しをないがしろにしたことが、結果的に真剣に自分の人生を考える良い時間になったのではないかと、推しに罪悪感を覚えないよう超ポジティブに捉えるようにしています。(推しよ、すまんな)
推しの初単独コンサート
帰国数カ月前、中国人の彼に振られてしまい、彼のために節約し行くのを諦めていた推しの初単独コンサートの追加公演を見に行くべく、私は天津から深圳へ飛びました。
座席もまあまあいい所取って。
観光する日も作って。
散財じゃ!!
控えめに言って最高でした。
推しは裏切らない。
そう、チャン・イーシンは絶対に私たちファンのことを裏切らないんです。
オタク、復活。
ただいま!!!!!!
帰国、院試準備
最後の最後に失恋という悲劇を味わい、推しのコンサートで幕を閉じた留学生活。推しさえいればもう男なんていらぬ......推し万歳。
帰国後は院試に直結する卒論テーマと、最終的な学部決めでまず頭を悩ませました。
やはり自分の中国や中国人に対しての考えや見方を変えてくれたSNSには興味があったので、卒論テーマも中国SNSに関連する内容に。
学部は“ジャーナリズム・コミュニケーション学部(新闻与传播学院)”、その中でもSNSや新メディアを研究対象とすることができるコミュニケーション学(传播学)を第一志望にしました。
この学問なら将来何かの形で推しに貢献できるかもしれないという淡い期待と、卒論を進めるにつれ本気でこの学問に興味が湧き、もっと深く研究したいという思いを胸に、今私は大学院進学を目指しています。
中国政府奨学金の面接に合格できたのでほぼ進学確定ではありますが、自分の望む大学に行けるよう、また、もし受かったらちゃんといい研究をして、卒業できるよう、日々勉学に励んでおります......ボチボチ推しを追いながら。
推しの頑張る姿を見る事は、私にとってエナジードリンクを飲んでいるようなものですから、推し情報チェックは欠かせません。
留学前のように気が狂ったようには追わなくなりましたが、彼は今でも私の心の支えであり、人生を変えるきっかけをくれた大切な人であり、常に夢は実現できるという希望を与えてくれるキラキラした存在であり続けています......
推しからのメッセージ
そして先月、推しが私がWeiboで投稿した作品を見て、メッセージをくれました。(また詳しく記事にしようかな)2:03~が推しが私の作品にくれた、いやくださったメッセージです。
見て!!!!!!(自慢)
推しの日本語めちゃくちゃ可愛いから見て!!!!!!
海外大学院進学ってかなりの長期戦。少し先の未来も見えず、進路が決まらないまま卒業。同い年の友人は社会人3年目?を迎え、更にぽつぽつと結婚してゆく......。一人取り残されているようで、前に進めていないようで、本当に苦しい時期でした。
推しは超能力者なのか?恐らく人生で最も辛い試練に立ち向かっている時にこんな嬉しい事ないですよ。推し、現時点でWeiboフォロワー数5000万人いるんですよ??(自慢)
推し、ありがとう。一生推す。
推しがステージを下りるその日まで、私はずっとずっと彼を応援し続けることでしょう。一人のアイドルが、ここまでオタクの人生変えちゃうって凄いですよね。それだけの魅力が、推しにはあるんです。
そんな推しに、心から感謝。
そして、デビュー9周年おめでとう!
あなたの永遠のファン、小冰より。
“努力努力再努力”な推しと共に、私も成長していきます。
また普通にコンサートに行けるようになるといいな。
首から双眼鏡を掛け、手には手作り団扇とペンライトを持って、キラキラしたあなたの姿を拝みたいよ......