インプット好きの日本人の罠
テックプレナー道場の参加者に「最近何やってるの?」と尋ねると、機械学習やウェブアプリ開発を学びたいであったり、学んでますという声を多く耳にします。私が会話対象であることから、文脈的に今学んでる内容を伝えてくれたのだと思いますが、学びたい意欲がとても強いことは喜ばしいことです。
他方、1ヶ月くらいしてからもう一度聞き直すしてみると、
「一通り学び終えたので、次に○○を学んでいます」
「途中で挫折し、今は△△をやってます」
「最近やれてませんが、今月はやろうと思ってます」
という声を聞きます。私にも覚えのあるセリフです(笑)いつの間にか学んでる対象は変わってるが、やはり何かしらを学んでいる、学ぼうとしているというものです。
何気ない会話のやり取りですが、ここにはある意味、日本の縮図があるように感じています。
それは常にインプットし続けようとしているということです。それは人によっては小学生のときから、高齢の方に至るまでほぼすべての方に見られる傾向にあると感じています。一つの側面からみると、勤勉であるといえますが、ここには罠があるように感じています。
(注)インプットといっても様々なものがありますが、ここではスキルないしは知識習得という意味合いでのインプットを想定したいと思います。
アウトプットが決まっていないと陥るジレンマ
そう。目的や目標がないまま、「おもしろそうだ」、「すごそうだから学んでおいた方がいい」という理由が体感的に多く感じています。もちろん、それ自体は悪くありませんし、学ぶ最初の入り口であるとも言えます。
しかし、裏を返せば、おもしろいことやある程度できることがわかったら、やめてしまっても良いということであるとも言えると思います。そして、次にまた「おもしろそうなこと」や「すごそうなこと」が見えてきたら、またそれらを試してみるというサイクルになってしまうのではないかと思います。
別の例でいえば、日本では中学(今は小学校からも)〜高校と6年間も英語を学ぶ方が大半を占めていると思います。しかし、バンバン英語を喋っているかというと、「私は英語は得意ではないです」「あまり自信ないです」という声の方が多いように感じています。
他方、私の知人で中国やタイから来てる方のなかで、英語よりも難解であろう日本語を1~2年しか学んでいないにも関わらず、日本語を自然体で喋っている方をよく見かけます。もちろん、必死に学んでこられたらからできるということにほかなりませんが、学んでる期間だけいうともしかすると日本人の一般的な英語学習時間よりも短いと感じています。
では一体、彼らと私を含めた一般的な日本人との大きな違いは何でしょうか?私が考えるにそれは、アウトプットが決まっていないことと、圧倒的にアウトプットが少ないことではないかと思います。
インプットに終わりはない罠
ここで話を戻します。機械学習やウェブアプリ開発に限らず、学ぶ対象すべてに共通することとして、どれだけ学んでも100%(FULL)になることはないと思います。むしろ学べば学ぶほど、より深い内容や関連する内容が見つかり、無限に学ぶことが出てくると思います。
極論かもしれませんが、このインプット地獄にはまってしまっている方がテックプレナーの参加者を含めて、日本人の多くの方にはいらっしゃるのではないかと思います。
かくいう私がその代表格です(笑)私こそがそういう心理であったからこそ、博士課程まで進んでしまいました。それを一概に悪いこととは思っていないですが、博士号を取得して会社をやりながら思ったこととしては、インプット(=学んできたこと」としてきたことすべてがアウトプットになっているかというと、本当にそうなっているものは一部で、それも特定の一部のインプットばかりを多くアウトプットしているという認識です。それは一言でいえば、ニーズがあったインプットであると思います。
学生時代の私の心理を記述してみます。前提として、インプットの先にあるより次元の高いインプットを「高度なインプット」と言及したいと思います。「高度なインプット」を理解できていて、実践している自分は「格好よい」的な心理があったように思います。今も気がつくとそうなってしまうことはよくあります(笑)
アウトプットを仮決めでもつくっておく
もう少し大学院を例に語りたいと思います。上記の意味では、大学院のような研究機関という場はどんどん追求することができる環境にあり、良い場であると思います。だから大学院生が増える傾向にあるというのは、ある意味今の時代の日本人の特性と一致しているのかもしれません。
しかし、みながみな大学院に行くわけでもありませんし、大学院にも卒業がありますので、インプットだけでなく、自分なりにアウトプットを定義していかないとキリがないというのが、今になって感じていることです。
大学院に行ってからアウトプット(=研究テーマ)を考えようという学部生の方の声を多く聞きますが、大学院に行ったら行ったで、授業やインターンなどで忙しさは変わらず、アウトプットを決めるに十分な情報や余裕が得られるかというとそうではないと思います。
これは大学院に限った話ではないと思います。高校生が大学に進学したらというのと、社会人が転職したらというのと構造的には変わらないのではないかと思います。今ある状況から、仮でも構わないのでアウトプットを定義して、それに向けてインプットしていき、その過程で見えてきたことがあれば、アウトプットを更新していくというように姿勢であれば良いのではないかと思います。
アウトプットも一度思い描いたら、それが叶うとは限りません。いくつもアウトプットが出てくることもあると思います。体は一つしかありませんし、時間も有限ですのでアウトプットを整理していきながら、今何をインプットしていくと良いのかという意識は持っておいて損はないかと思います。
冒頭で述べた中国人やタイ人の方は、この点を現実的に見据えることができていたからこそ、短期間で日本語を習得し、使いこなせているのではないかと思います。
アウトプットをどうレベルアップさせていくか?
この記事の結論的な内容になりますが、インプット(知識・スキル)はアウトプットの次元を高めるためにどう取り入れていくかという視点があるとより良くなるのではないかと思います。
アウトプットも時間軸やジャンルなどさまざまに定義があり、考え出すときりがないものでもあります。特に時間軸が人生とか10年スパンになってくるとなおさらですし、難しくなってくると思います。まずは学んだプログラミングの知識をQiitaやGithubで公開してみるとか、勉強会のような場で発表してみる、YouTubeに投稿してみるなど、身近なところからアウトプットを出すことを考えてみると良いかもしれません。
私もつい最近、YouTubeに挑戦してみました(笑)
また別途記事にして綴りたいと思いますが、このアウトプットを出しやすくしたり、より深く思考するために、自分に合ったコミュニティを見つけて、活用していけると良いのではないかと思います。
楽しくインプットもアウトプットもしていけると良いですね!
おまけ:大学院での学びについて
大学院ネタを沢山書いたのでもう少しだけ大学院にまつわる話を(笑)
上述の高度なインプットという書き方をしましたが、高度なインプットをすると高度なアウトプットの場が必要になってくるのではと思います。今でこそコモディティ化してきた「ディープラーニング」はまさに大学院で深く理論を学ぶ対象でありますが、私も大学院にいたときにさまざまな種類の機械学習の先行研究のレビューや理論学習を行いました。
大学院は研究しやすい場であったからこそ気にしなくてよかったことですが、ディープラーニングのような手法は大量のデータ(教師データ含む)が必要になります。Kaggleや研究用データセットを除くとなかなか学んだ理論やスキルを適用する機会がありません。これは多くの方が感じていることだと思います。しかし、高度なインプットを学ぶときにつきものだと思います。
かの坂本龍馬は海軍操練所で蒸気船の操作・管理方法を学んでいたわけですが、肝心の蒸気船がないとまさに鍛錬してきたことを活かすことができません。それ故に蒸気船を持つ薩摩藩に働きかけていたというのがあると思います。
避けて通りたいところではありますが、やはり無視できないところです。どういう環境が必要であるのか、誰と連携すると良いのかなども視野に入れてアウトプットとインプットを考えていく必要があるのだと思います。けど、その先には竜馬のような世界観がみえてくるかもしれません...!
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