今なんとしても読むべき作家『凪良ゆう』
※この記事は今年1月22日に書いたものです(ちまちまブログ引っ越し中)
1月21日。2020年本屋大賞のノミネート10作品の発表が行われ、凪良ゆうさんの「流浪の月」が選ばれた。BL小説家として12年のキャリアを持つ彼女が一般文芸として書いた3作目である。
凪良ゆうファンとして誇らしい。
賞が全てではないけど全国の書店員さんの投票で決まるこの本屋大賞はとても価値があるように思う。
BLを愛して30年。私は自分のBL眼に自信を持っている。その中でも「凪良ゆう」は別格だ。彼女のBL小説を読んでいるとBLと文芸の境がなくなる時がある。
一般文芸書いたらいいのにと思っていた。
やっぱり才能はちゃんと見出されるんだなあ。
だって本当に素晴らしいもの。
私が凪良ゆうという作家に出会ったのは2018年3月4日。BL小説家デビューして12年という事なのでわたしはまだ新しいファンと言えるかもしれない。
が、当然、凪良ゆうさんの存在は知っていた。
BL愛好家から絶大な支持があるBL情報サイト「ちるちる」のランキングを見ると必ず上位にランキングにいつも名を連ねていらっしゃったのでね。
なかでも、目を惹くのが「美しい彼」という小説。ほんとうに美しい表紙が印象的で興味はあったが、あらすじを読んで敬遠していたのだ。いや、敬遠というより抵抗か。ランキングレビューとか信用できないと。
しかしまあ、抵抗していた割には呆気なく「凪良中毒者」になってしまった。かなり重症の方の。
なぜ凪良ゆうに惹かれるのか?
まずは圧倒的筆力。圧倒的センス。
とにかく文章が上手くて読みやすい。
そして飾りのないストレートな言葉のひとつひとつが深く胸を打つ。
凪良ゆうさんの小説は引き算の美学だと思う。
余計な言葉をそぎ落として残った本質だけを残す。
枠にとらわれず、幸せのカタチにこだわらず、自分の書きたい事を曲げない信念を持った書き手。
その想いがビシバシと伝わるものだから
読まずにいられないのだ。
この世にあふれる善意。
善意ってなんなんだろうね。
自分にとっての幸せを
自分じゃない他の誰かに決められる事。
事実と真実は違うという事。
『せっかくの善意をわたしは捨てていく
そんなものでは、わたしは欠片も救われない』
このフレーズがここで使われるのかと。
この文章を読んだ瞬間、胸が痛くて息ができなかった。
胸を衝くという表現をしばしば見聞きするし自分も使うけれどそれを「流浪の月」で体現したのだ。
こんな経験をする本に、この先また出会えるだろうか。
「流浪の月」が本屋大賞にノミネートされた事により凪良さんはますます注目され文芸の依頼も増えるだろう。
けれども私はやはりBL作品を待っている。
人間洞察の深さ、巧みな心理描写、生きづらさを感じる人達の日時を描き登場人物を深く掘り下げる。
凪良さんの書きたい事。
伝えたい気持ち。
一般文芸を読んで改めて思う。
BLだろうと文芸だろうと
根底にあるものは変わらない事を
凪良さんはインタビューでこうおっしゃっている
BLは右手だけで書く。一般は右手も両手も使える
両手で書く小説へも、もちろん期待したい。
近いうちにまた新しい作品に出会えそうだ。
でも私はBL作品を待っている。
BLという枠の中。
きっと窮屈な想いもあるだろう。
けれども私は右手だけで書かれた小説が読みたいのだ
だってBLを愛する人ですもの。
そこは私らしく、こだわっていたいと思う。
★今読み返してみると「情熱ほぼ隠して書いてるやん!」って可笑しいやら、大げさな言い方だけど予言?通りになってるところが感慨深いです。