[二]秩序を重んじるか否か
音楽を聴いていると度々そう思う。次に鳴るコードが予測できたり、テンポは決まっていたり。時々そこから脱線したかのように思わせたり、戻ったり、そんな遊びのように。果たしてこのエンターテインメントに意味があるのか。まるで台本通り、「全てご安心あれ」と優しく囁かれているよう。
全ての音楽にそう言っているわけではないが、やはり私自身が制作するに対して、私自身がそのように感じてしまえば納得はいかない。そもそもキッチリと整備された音階で組み上げる物は、秩序の塊か。そういえば世の中に秩序はあるだろうか。秩序は人間が引いた線に過ぎないのか。私はその区分けされた線の中で、出たり入ったりしたような気分にさせられて、「気分転換できた」とかそういう満足感を得て、また秩序の一部となっているのか。そうだとしてそれは良いのか悪いのか。
では試しに秩序のないものを作ってみようとする。が、秩序の無い作品が私の中で成り立つためにはどうすればよいのか。ひたすらに音も聞かずに音を積み重ねたところで何も感じない。何というか、全てをフリーハンドで書いたような、そんな”自由”を感じたい。
それは秩序の有無というよりも、自由の有無かもしれない。満員電車で誰かのカバンが背中にずっと当たっているような、そういう不快感や不自由を得ず、ひたすらに音楽の中で自由を謳歌し、納得したいと思っている。次の作品はこの課題に挑戦してみる。
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