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「広告」は非倫理的である。

すべての「商業広告(commercial advertisement)」は悪魔であり非倫理的だ、という考えの話。

(ここでの「広告」は、主に広告主の利益のための「商業広告」を意味します)

広告は、消費者が必要かどうかにかかわらず、その製品やサービスの購入を誘導します

これは、消費者の合理的な意思決定を損なう行為です。

広告主は、自分の製品/サービスが売れればいいだけであり、消費者の望む「幸せ」や「QOLの向上」などはどうでもいいのです。

もちろん、広告はその「幸せ」や「QOLの向上」に訴えて来ますが、本質的には広告は「売る(利益を出す)こと」が目的です。

仏教では、欲望は苦しみの原因だと考えています。
広告は不必要な欲望を引き起こすものであり、仏教的に考えれば「悪」そのものとなるでしょう。

私たちの願望や夢は、合理的に導き出されたものではなく、そのほとんどが広告によって植え付けられたものなのかもしれません。

一言でまとめると、
広告は「人の欲望を不必要にも生み出し、その欲望を利用(Exploit)するもの」です。

もし企業が利益を目的としているものではなく、純粋に消費者の利益を考えて作られた広告は非倫理的ではないかもしれません。(例えば「シートベルトの重要性を訴えるもの」や「洗濯機の存在を知らず洗濯板を使っている者にその存在を教える」等)
しかしそれは商業的ではなく、また「啓蒙」と表現する方がより正確なのではないでしょうか。

利益を目的とした場合、つまり自社の製品を購入させることを目的としている場合は、必ず消費者の意思決定プロセスに介入することになります。
これは操作的(manipulative)であるといえるでしょう。
場合によっては、意図的に、心理学をも悪用して合理的な判断を失わさせるよう仕向けている例もあるはずです。

特にWeb広告では、利用者の行動を追跡してその人に合わせた広告(ターゲティング広告)を表示します。
今はプライバシーを考慮しブラウザ側でブロックされることが多いですが、“サードパーティCookie”を使用することで複数のWebサイト(例えばAmazonとGoogle)での行動を広告会社が追跡できます。

この手法が野放しになってしまうと、例えば「Amazonでカーテンを探し、Pinterestでインテリアの画像を調べ、Googleで地元の家具屋さんを調べた」場合、このユーザーは「部屋の模様替え」をしようとしてることが推測でき、それに合わせた広告を配信することができます。

つまりユーザーの行動を追跡・分析し、その人が購入する可能性の高いものを望んでもいないのにオススメするわけです。

言い換えれば、

あなたの情報や過去の行動を、あなたのこれからの行動を操るために利用している

といえるでしょう。

以上をもって、広告は倫理的に問題があると結論づけます。

おまけ:ChatGPTに問題を出してみた

⚠注意
この記事は「広告ブロッカー」の利用を正当化するものではありません。
昨今悪質なWeb広告手法が増えており、広告ブロッカーの必要性を感じることもありますが、某動画サイトやあらゆるWebサイトのほとんどは、広告によって得られる収益で運営しているため、皆が広告ブロックをしてしまうと運営が成り立たなくなるでしょう。
ここでは「広告ブロッカー」の利用の否定はしませんが、広告が非倫理的だからといって、広告ブロックをしてWebサイトの利用をする行為の正当化はしません。

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