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僕と高校の話

非常に苦しい3年間でした。

こんにちは。
どうも、けこぜろです。

12月に入ってからここ数日、昔の出来事を振り返っています。
散歩で懐かしい思い出が蘇ったことをきっかけに、かつて通った塾や就職活動、プールの思い出について語りました。

2022年1月21日からnoteを始めて様々なことを語ってきましたが、中でも書きやすいのが購入したもの紹介と自分語りなんですよね。
独りよがりな理由ではありますが、自分の過去を語るのが最も手軽に文字数が稼げるいいネタなのです。
別の視点で考えると、来年から仕事が変わるのですが、このタイミングで自分自身の過去を振り返ってみるのもいい機会だと思ったりしています。
今後も子どもに関わる仕事であることが決定しているので、ここで振り返った思い出も話の種にできるかもしれないですし、何かしらこれからに繋げられるかもしれないですからね。

ということで、今回3年間過ごした高校時代について振り返ります。
自分で選んだため言い訳もできず、いい思い出のない3年間でした。



僕と高校時代の思い出

受験編

小学校、中学校は地元の公立校に通いました。
塾について振り返った際にも触れましたが、僕が高校受験をする際に選んだポイントは3つありました。

  1. プールがないこと

  2. 大学の附属校かつ進学先の大学で心理学が学べること

  3. バスケットボール部があること

プールについては先日3年間入らなかったことを振り返りましたね。
もう2度と入りたくなかったのです。

附属校なのは僕の大学受験と妹の中学受験が被るため、僕にかける負担を減らすべく附属校を選ぶ必要があったのです。
その際に大学で勉強したい学科を選ぶ必要があったのですが、中学3年生の時点で大学の学科も選ぶ必要がありました。
この当時大学での勉強なんて想像できなかったですし、名前の響きから面白そうなのは心理学くらいでした。
そこで、大学で心理学が学べる附属校を探さなくてはならなかったのです。
結果的には妹は中学受験しなかったし、僕は附属出身ではあったものの大学では今でも交友が続く友達とも出会えましたね。

そして最後、バスケ部に関しては中学で始めた部活動を続ける以外の選択肢がなかったというのが理由ですね。
今回の記事ではバスケに関する話題は割愛しますが、結果的には自分自身を苦しめることになってしまいました。

一通りの条件がマッチした高校は無事都内に見つかり、電車を含めて自宅から30分くらいの距離というそれなりの近さでもありました。
しかもバスケ部の顧問が中学バスケ部の先生の後輩だったり、当時の担任の先生とも縁のある高校でもありました。
僕の当時の成績は中の上くらいだったこともあり、推薦はもらえなかったけどバスケ部に入ることを条件に一般受験でも優遇してもらえるとのことになりました。
私立校だったため受験科目は国語、数学、英語。
中でも数学が際立って難しいのが特徴的で、過去問に挑戦してもめちゃくちゃ難しかったのを覚えています。
実際のテストも難しかったのですが、どんなだったかは記憶には残っていませんでしたね。
ただ結果的には無事高校受験は合格できました。

初めてのあだ名

高校に入学してすぐにバスケ部に入部することになったのですが、体験入部のアップのランニングがキツすぎて吐きそうになったのが印象的でしたね。
あとは1学期で家庭の事情により担任が変更になったり、変わった担任が中学時代の担任の恩師だったりと面白い出来事もありました。
面白いと言えば、180cmを超える身長だったことからクラスメイトには「エベレスト」というあだ名をもらいました。
他に高身長がいなかったというのもありますが、中々に個性的で面白いあだ名でしたね。

クラス内の立ち位置もそれなりでした。
気持ち的には陰キャではあるのですが、運動部に所属していたこともあって陽キャ集団の中に入ることはできていました。
中学時代の延長で読書が好きで授業中にこっそり小説を読んだり、読書好きが転じて自分が書きたい小説のネタをひたすらルーズリーフに書き込んだりもしていましたね。
あだ名もあったし部活は忙しすぎて辛かったけど、高校生活は楽しむことができていたのが幸いでした。

成績について

中学時代は中の上くらいでしたが、高校時代は上の下くらいになりました。
僕が通った高校は40人学級で10クラスあり、1学年は400人いました。
その上位40人くらいは普通に大学受験を行って他校に進学しますが、附属の大学で希望の学科に進学できるのは成績上位40名が優先されるとのことでした。
僕が大学で学びたかった心理学科は毎年5〜6名しか入れない狭き門でした。
そのため、最低でも学年上位40位に入らないと希望の学科に進むことができません。
週6日も練習がある部活もかなりハードでしたが、勉強の方も真面目に取り組まなければならなかったのです。

印象的だったのが高校1年生の時の教育実習生。
一緒に掃除をしながら希望の学科を問われて心理学科と答えたのですが、かなり勉強を頑張らなくてはならないとのことでしたし、心理学科生は毎日夜遅くまで学校に残っているとのことでした。
中々に厳しい現実ではありましたが、心理学科意外の選択肢はなかったので頑張る以外ありませんでした。

社会科系が特に苦手だったのですが、真面目に取り組んだ国語と英語はそれなりに良い成績ではありました。
高校2年の時の古文なんて先生に気に入られてしまい、毎回授業で当てられるという苦行もありましたね。
デフォルトの席が教卓の目の前で高身長な僕が目立っていたということもあるのですが、席替えして教卓から離れても毎回当たりましたし、クラスの全員で寝たふりしてみたけど全く注意をしなかったりと、本当に印象的な先生でした。

高校2年生の終わり頃から部活を休部したこともあり、高校3年生の時は暇を持て余して結構真面目に勉強をしていました。
そのお陰もあって最終的な成績はクラス内の順位は5位ほど、学年順位は70位ほどでした。
上位40名が他校に進学するため、30位くらいには入れました。
無事希望する学科には優先的に入ることができますね。
幸運なことに僕が大学に入学するタイミングで学部が再編成され、新生心理学科1期生として10名まで附属校から行けることになっていました。
成績は上位に入れていたので希望する学科への進学は決まっていましたが、心理学科に入れる人数が増えていたのは思わぬ誤算でした。

大学受験は小論文のみでしたし、附属校限定の宿題とかもありましたが余裕で大学生になれましたし、大学時代の4年間は最高に楽しかったです。
こちらについてはまた別の記事で話しますね。



まとめ

こんな感じで、僕の高校時代の思い出について振り返りました。
高校時代は部活が辛くて本当にいい思い出はなかったので、今回は良かった思い出だけ振り返ってみました。
受験時にも色々ありましたし、最初のクラスにはあだ名をつけてもらって馴染めましたし、成績もそれなりの感じでもありました。
つい先日、卒業証明書をもらいに卒業式以来に高校に訪れましたが、全然変わっていなかったのも印象的でした。
土足の私立校ということもあって、上履きがなかったのも面白かったですね。
学校内にエレベーターがあったり、図書室がガラス張りだったり、自分のクラスからほとんど出なかったけど面白い施設ではありました。
苦しい思い出が多かったのは事実ですが、こうしてみると面白い高校で懐かしいです。

それでは、また。

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