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「期待」についての考察~居場所を考える人バージョン~

誰しも、何かしらの「期待」を持って人と接していると思います。
期待が良い悪いという次元ではなく、誰かと視線を合わせた時点で無意識の中に発生しています。
マインドセットについて学んでいる方は、期待をしないことについても学んでいることでしょう。それは、期待をしている自分を認識することから始まります。つまり、期待するという思考の癖を理解し、コントロールするという方法です。

自分が何かに所属している場合、その場所に対する期待も存在しています。
そして、そこを離れる決断をするとき、原因はその期待にあると思うのです。

ここで学べることがあるはず、という期待。
ここに必要とされているはず、という期待。
ここに自分がいる意味があるはずだ、という期待。

その期待に見切りをつけることが、その場所を離れる決断をさせるのだと思います。

沢山の人が、コロナウイルスの蔓延という、自分の日常を振り返るきっかけを与えられました。
日常に当たり前に存在していた「それ」は、本当に必要なものなのか?
そんな問いに向き合わざるを得ない状況に置かれました。

休業要請を受けて仕事を休んだ人。休んでいる人。
居場所、というキーワード。
「戻ってこられる場所はちゃんとあるから安心してほしい」という上司や先輩、社員、会社の言葉。
そう言われて戻ることに意味を見出せるなら、きっと戻れる。
自分がいる必要性を感じられなくなったら、たぶんそこは戻る必要のない場所なんだって心のどこかでわかっている。

でも決して勘違いしてはいけないのは、「いらないんじゃないか」という思いが、ネガティブなだけではないということ。
「ここにはもういらないんじゃないか」と感じたのなら、きっと自分以外の人たちが努力や成長によって穴を埋めようとしている。そして自分に選択の余地を与えてくれている。
「いらないんじゃないか」というのは、「いなくても大丈夫なんじゃないか」「違う場所へ行ってもいいんじゃないか」と言い換えられる。
巣立つことを考えても、許される。そう受け止めればいいと思う。

何かに所属すると、そこがあることが無意識のうちに安心材料になっています。そして、離れることが怖くなり、ずるずると抜け出せない状態になってしまうこともある。
その場所に居続ける理由に、ちゃんと向き合ったほうがいい。
「求められるから」だけだったらいつか駄目になるから。
でも、「この人と一緒にがんばりたいから」であれば大丈夫。
理由や責任が自分から生まれるものでなければ、意味のある時間を過ごすことはできないんじゃないかなと思います。
意味のある人生をつくるのは、自分自身。

存在する場所を選ぶことは、自分に対する責任です。
いること、いなくなること、近づくこと、離れること、挑むこと、逃げること。
周りの人にその良し悪しを判断されることがあったとしても、自分に必要だからそうしたのだという気持ちがあれば、それでいい。
自分を幸せにしてあげてください。

みんなが自分を認められる世の中になりますように!
(私もめげずにがんばらなくちゃ!)


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