池袋モンパルナス。
『ランダムに選んだ過去の写真からインスピレーションを受けた小咄、コラム、戯言などを書き留める写真で二言三言。』
山手線西側の副都心というとどこを思い浮かべるだろうか?
ほとんどの人は新宿、渋谷になるだろう。この2つの街は都内でも最強のトップグループである。
ではその次となるとどうだろう?おそらく3番手から5番手くらいのグループに名前が挙がるのが『池袋』ではないだろうか?
今でこそ、『東は西武で、西東武』の西武池袋線、東武東上線をはじめ、JR山手線&埼京線、東京メトロ丸の内線&有楽町線&副都心線と7つの路線が交差する一大ターミナル駅であると共に、埼玉県民に対する東京のショーケースとしての役割を担っている。
そんな池袋再開発がTOKYO2020に向けて進められ、とりあえず一通りの当初の再開発が一段落ついたところだが、その中で特に押しているのが『東アジア文化都市 豊島』である。
ここ数年の池袋はやたらとあちこちで『文化』押しなのである。
長年池袋文化圏で暮らしていて文化の香りを嗅いだことがなく、世間の皆様としても『池袋』と『文化』はなかなか結びつき辛いと思われるがいかがだろう?
今でこそ、秋葉原に続くサブカル都市としての認知が広まってきている池袋であるが、歴史を振り返るとその下地は実はこの地に十分に醸成されているのである。
まずは戦後の昭和少年たちに夢と希望を与え続けた漫画界の巨匠たちが巣立っていった『トキワ荘』である。手塚治虫が切り開いた漫画を慕い偶然にも集まった藤子不二雄や石ノ森章太郎といったその後の漫画界の巨匠たち。
さらに遡るとまだ片田舎でしか無かった池袋周辺に低家賃でアトリエ付の屋敷を求めて集まった池袋モンパルナス。
その後の日本美術界に影響を与えた若い芸術家たちもこの地に集まっていたのである。
この辺についてはわたしのブログに池袋モンパルナスの跡地を徘徊したエントリーがあるので、興味がある方は是非。
そんなこんなで、ある日突然豊島区は『文化』を言い出したわけではなく、みんな忘れてるかもしれないけど、池袋周辺て実は昔々からアーティスチックな土壌が蓄積されているんだよ?ということを知ってもらいたいだけのお話でした。
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