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11年間暮らした箱庭の街。
『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』
子会社である地域会社の経営というものはなかなか厳しいものがあり、特にわたしが赴任した北陸の地域会社は営業エリアが福井・石川・富山と北陸3県に限られていることもあり、なかなか事業のスケールが難しいという課題を抱えていたのである。
なので年度当初は景気のいいことを言っていても夏場くらいには年度の着地がある程度見えてくるようになり、事業計画達成に向けて最後の悪あがきの準備を始めるのが下半期が始まる10月あたり。
この時期にいかに悪あがきができるか、悪あがきのしようもないかが年度着地の天国と地獄の分かれ目にもなるのである。
ということを赴任した前年の秋に経験して、2015年の10月は早々に親に強請ることにしたのである。
なにはともあれ、子のピンチを救うのが親の役目でもある。当然子会社が苦しいときには手を差し伸べてくれるのが親会社というわけだ。
この日は親会社のいくつかの事業部をハシゴして仕事をもらって廻る計画をしていたので、夜明け前に金沢駅を出発して北陸新幹線で上京。
しかしっ!?東京駅に着くやいなや有楽町線が事故で運行中止との連絡が入り、少々時間がかかるが新橋駅まで出て、新橋からゆりかもめに乗って親会社の最寄りに向かうことになった。
その時のゆりかもめの車窓から撮った一枚がこの写真である。
もう、懐かしさだけで条件反射で撮った一枚なので傾いているが、ゆりかもめがレインボーブリッジを渡りきって、お台場海浜公園駅に着く直前の90度カーブのところで撮ったものだ。
左側は公団のマンション、右側は公社のマンション。
どちらも臨海副都心がオープンした1996年春にこの歴史も文化もないお台場という箱庭の街への第一次移民を受け入れたマンションである。
実はかくいうわたしもこの第一次移民の一人だったのだ。
まさにこの公団のマンションの写真に写っている角部屋の一つで結局11年間も一人で暮らしていた。
本来は移民はわたしだけではなく、将来を約束していた彼女とともにこの街で暮らす予定だったのだが、若気の至りというものは今振り返るとなんとも浅はかなものであり、結局当時の彼女とは別れ、意地だったのか居心地が良かったのか11年も独りこの街で暮らし、妻と知り合ってわたしはようやくこの街の地場から離れることが出来たのだ。
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