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百万石通りを駆け抜けるサンタクロース!?

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

80年代半ばに思春期を迎え、日本経済の急上昇とともに高校、そして大学生のころにはバブル経済と物心付いてからのクリスマスというモノは、如何に彼女とスペシャルな一夜を迎えるか?を一年のうちの最大のイベントとして捉えていたので、世俗に塗れたクリスマスしか印象に残っていない人生であるが、純粋にサンタクロースの存在を信じて、クリスマスにサンタクロースがクリスマスプレゼントを届けてくれるのを夢見て、枕元に靴下を置いて寝ていたのは何歳くらいまでのことだったであろうか?

改めて我が人生を振り返ってみたところ、おそらくサンタクロースが存在し、サンタクロースがプレゼントを届けてくれた!と記憶している最後のシーンは1970年代前半のまだわたしが幼稚園に通っている頃のことである。
この頃のオモチャといえば、ウルトラマンや東宝ゴジラシリーズのソフビ人形が主流だったのだが、お金持ちの家にはGIジョーが何体も転がっていた頃合いである。

残念ながら我が家にはGIジョーは一体もなかったのだが、そのパチモンというか日本版でタカラから販売されていた『変身サイボーグ』というモノがあったのだ。
身体の機構はGIジョーと同様で、頭から足の先まで本体は半透明のサイボーグという設定。
実際はこれに仮面ライダーなどの変身ヒーローの服や仮面を付けて遊ぶのだが、我が家にはそこまでの余裕は無く、半透明の気持ち悪い全裸のサイボーグ状態で遊んでいたのだが、ある年のクリスマスの朝にわたしの枕元に大きなアタッシュケースのような箱が置かれていたのである。

サイボーグの服も買えないうちの事情を鑑みて、まさか?と思いつつも箱を開けてみると変身サイボーグの基地なのであった。
まさかこんな思いもよらない大層なモノを送ってくれるとは、なんてステキなサンタクロース様!と心の底からサンタクロースを信仰したのだが、それ以降のサンタクロースの記憶は無いので、おそらく小学校に上がる頃にはサンタクロースは父親であるということを理解していたのであろう。

そんなことを、この百万石通りを疾走するサンタクロースの写真を見て思い起こしたのである...(遠い目)。

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