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奇妙な鳥居を持つ神社、近江町市場向かいの市媛神社。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

金沢時代はまだカメラには特別な興味もなく、写真はスマホで充分を思っており、散歩に関しても今ほど積極的に街を歩いて廻るような趣味と言えるほどの興味もなかったのである。
しかし、こうして金沢時代の日々を振り返っていると所々都内復帰後に突然沸いて出てきた『写欲』の源泉のような写真が目に止まる。

今回の一枚の写真は近江町市場向かいの市媛神社の鳥居の写真である。
この日まで特に気にすることもなく通り過ぎていたのだが、2016年6月初旬に突然目に止まってしまったのである。
いつものように近江町市場をフラフラしようと向かったところ、突然2015年の秋の結婚記念日旅行で宿泊した七尾の加賀屋の副支配人の話を思い出したのだ。

その副支配人の話とは神社の鳥居に関するトリビアであった。
『女神を祀っている神社の鳥居は横の二本のうち下の横棒が縦棒より出張ってなく、男神を祀っている神社の鳥居は横の二本とも縦棒より出張っている』という話だった。
有名どころでいうと伊勢神宮は超メジャー女神である天照大神を祀っているので、出張っていないタイプの鳥居なのだそうで。

このトップの写真を見る限り市媛神社の鳥居は下の横棒が出張っていないタイプなので、女神を祀っているのであろうか?と思いきや!?

しかし、一の鳥居をくぐったそのすぐ後ろにはもう一つ鳥居があり、そちらは横二本とも出張っている形式なのである。
まずここで引っかかる。鳥居トリビアの法則に従うと、祀られているのは女神なのか?男神なのか??それとも女神・男神両方祀られているのだろうか?と。
確かに、神社というモノは必ずしも一柱の神様だけでなく複数の神々が祀られているケースは多々見受けられる。
この市媛神社も複数の神様が祀られているということか!と境内を見渡すと、たしかにここには三柱の神々が祀られているとのこと。

ちなみにこの市媛神社とは、

≪市姫神社伝説≫ 市姫神社の祭神は、神大市比売命と大黒様(大已貴命)、えびす様(蛭子命)で市場や商売と深い関係があります。今の市姫神社は、天文(1532~1555)の頃、近江商人が京の市比売宮のお告げで加賀国石川郡にたどり着き一宇を建て、市姫神を祀ったといわれています。

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11447798070.html

ということで、この神社には三柱の神々が祀られているとのこと。三柱とは 大市比売神、事代主神、大国主神。 主神はこの大市比売神ということなんでしょう。

ちなみに大市比売神とは、神仏習合では七福神の弁財天でもあり、須佐之男命の奥さんでもある。

日本神話では、『古事記』の須佐之男命の系図に登場する。大山祇神の子で、櫛名田比売の次に須佐之男命の妻となり、大年神と宇迦之御魂神(稲荷神)を産んだ。 2柱の御子神はどちらも農耕に関係のある神であり、神大市姫命もまた農耕神・食料神として信仰される。神名の「大市」は大和・伊勢・備中などにある地名に由来するものとみられるが、「神大市」を「神々しい立派な市」と解釈し、市場の守護神としても信仰される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/神大市比売

お次の事代主神とは、やはり七福神で有名な恵比寿と習合しており、国譲りで有名な出雲の大国主のお子さんだとか。

名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である。言とも事とも書くのは、古代において「言(言葉)」と「事(出来事)」とを区別していなかったためである。 大国主の子とされているが、元々は出雲ではなく大和の神とされ、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったとされる。元々は葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神の格も持つようになった。このため、葛城王朝において事代主は重要な地位を占めており、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。葛城には、事代主を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)があり、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)のような全国の鴨(賀茂・加茂など)と名の付く神社の名前の由来となっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/事代主

そして三柱目の大国主。こちらも七福神の大黒天との習合で、葦原中国を天津神に国譲りした国津神の雄!

『日本書紀』本文によるとスサノオの息子。また『古事記』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。スサノオの後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させる。だが、高天原からの使者に国譲りを要請され、幽冥界の主、幽事の主宰者となった。国譲りの際に「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を建てて欲しいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、このときの名を杵築大神ともいう。 大国主を扱った話として、因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメへの妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』・『日本書紀』に記載されている。『出雲国風土記』においても多くの説話に登場し、例えば意宇郡母里郷(現在の島根県安来市)の条には「越八口」を大穴持命が平定し、その帰りに国譲りの宣言をしたという説話がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/大国主

といった三柱が祀られている市媛神社なのだが、主神が女神の大市比売神だから鳥居の横棒の出っ張りも一本だけ!という最初のトリビアにもどると、今回いろいろ調べているうちに、実は鳥居の横の出っ張りと女神・男神との関連性は定かではないと...(^^;)ハハハ。
むしろ、神社の建築様式によるものなのだそう。

ちなみに、この鳥居の横棒一本だけ出っ張っている様式は、『神明鳥居』と呼ばれる様式で、非常にシンプル。確かに伊勢神宮発として広がっていったとされるので、古くからの様式なのではと思われる。 なので、この市媛神社の最初の鳥居は神明鳥居ということになる。

ちなみに正面に『市媛宮』と掲げられている二の鳥居は横棒二本出張っており、こちらは『明神鳥居』と呼ばれる様式。
仏教伝来以降仏教建築の影響を受けて、鳥居にもいろいろと装飾が施されるようになったとのこと。

はてさて、ではなぜこの二つのタイプの鳥居が混在しているのか???という点については謎のままなのだ......。

むしろ、祀られている祭神が男神か女神かということは、神社の拝殿の千木の面が地面に垂直(外削ぎ)か、水平(内削ぎ)かで見分けられるという説もある。

こちらの拝殿の左側の建物の上部を見ていただくをお解りのように、千木は地面に水平に天を向いている内削ぎなんで、祀られているのは女神ということになるのだなのだそう。

まぁ、市媛神社の主神は大市比売神だと思われるので、この千木が内削ぎということで、いちおうの理屈はあっているといえばあっている。

がっ!?この千木の内削ぎ、外削ぎの区別も、女神か男神か?の区別の他にも、天津神系(内削ぎ)か国津神系(外削ぎ)か?を表すモノという説もあり......。
また、天津神系か国津神系かは拝殿の屋根の向きで区別されるという説もあり......。
この屋根の向き説によると、市媛神社の拝殿は山のように左右に流れているンで国津神系の神社ということになるのである。しかし、屋根の向き説に則って拝殿は国津神系だとしても、本殿は参拝者側に屋根が向いているんで、こちらは天津神系なのか?と深読みしてしまうと、鳥居が二種類と同様に混乱してしまうので、見なかったことにしておく(笑)

最後に整理すると、千木が内削ぎは天津神系としてしまうと、屋根の向きが国津神系というのは、様式的に混乱してしまうンで、やはり千木の内削ぎは女神を示し、屋根の向きが国津神系とすると、市媛神社の主神大市比売神は国津神の女神なので、まさに千木と屋根の向き関係性が整理されるのである(笑)

となるとやっぱり鳥居の形は女神・男神関係ないのかね?...(^^;)ハハハ。

ちょっとした疑問を調べ出すと、なにかと奥が深すぎる神社である。
今もなお、本殿から三柱の神々が近江町市場の商売繁盛を見守っている市媛神社なのであった。

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