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POPEYE創刊時にはまだ毛も生えていなかった...(遠い目)。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

今回は『金沢』にはなんの関係もないことだが、2016年6月の写真を見返していたら目に止まった一枚である。
2016年6月にマガジンハウスは『POPEYE』40周年記念号を発売していたのだ。
おそらく私のことだから、何も考えずに脊髄反射でポチったモノと思われる(笑)

POPEYEが創刊した1976年、わたしはまだ毛も生えておらず、色気づいた日々を暮らすのにはまだ5、6年の月日が必要なただの田舎の洟垂れ小僧だった。
そんな洟垂れ小僧は、小学生低学年の頃から近所の本屋を徘徊することを趣味としており、大人の雑誌が並ぶコーナーに当時この写真の右側のポパイのイラストを表紙にしたモノを見かけていたような記憶がある。
当時ポパイはアニメ番組としてTVで放映しており、好きなキャラクターの一つだったのだ。

そんな当時はなんの触手も動かなかった雑誌であったのだが、その6年後。
多少チクチクと毛も生え始め、声もなんとなく高音が出づらくなってきた春を思う季節に差しかかると、田舎の洟垂れ小僧だった私もいっちょ前に色気づくようになり、毎号楽しみに購読するようになった雑誌がこのマガジンハウスの『POPEYE』と講談社の『Hot-Dog PRESS』だった。
80年代に青い春を過ごした貴兄の半分以上はどちらかの雑誌を手に取ったことがあるのではあるまいか?
まだ80年代も初めのうちはファッションやアメリカ西海岸の文化の紹介がメインだった雑誌も、バブルが見え隠れし始める80年代半ばくらいからは恋愛HOW TO記事が幅を効かしはじめ、当時の輩はこれをモテるためのバイブルとしてメディアに躍らされたのである。
その最たるものは『クリスマスにはカルティエの三連リングに赤プリでお泊まり!』だった。

今となっては、なにゆえあれほど躍らされていたのか?と現在の若人であれば失笑されそうなことを、何も疑問に思わずバブル世代の輩は必死になっていたのだ...(遠い目)。

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