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河童の川流れ

「ことわざ」に真実はあるのヵ?

「河童の川流れ」とは、自分が得意なことに過度な自信を持ちすぎて、それが仇で身を亡ぼすと言ったことを指す「ことわざ」だ。つまり、泳ぎが得意なはずの「河童」が川に溺れて流されてしまうことを描写した言葉だと思う。なぜ「河童の川流れ」という言葉を取り上げたかというと、つい先日のことだが、古い雑誌をぱらぱらとめくっている折に、立て続けに「清水崑(しみずこん)」という人が描いた「河童」の挿絵を見たのだった。「清水崑」は、漫画家とも画家ともいえる人なのだが、私の知る限り生涯にわたって「河童」の絵ばかり描いていた不思議な人だった。河童の絵ばかり描いていたのだが、その大半が女性の「河童」で、それがまた色っぽくて、女性の「河童」の絵を描かせれば天下一品だった。

「清水崑」はなぜ「河童の絵」しか描かなかったのか

「清水崑」はすでに亡くなった人だが、彼の河童の絵を愛好する人が今もいるらしく、最近でも「清水崑」の描いた「河童」が登場する新聞広告や、テレビCMを見かけることがある。この人は、基本的に絵が達者で、おそらく「河童」に限らず望めばいろんな分野でいい仕事ができた人だと思うのだが、生涯「河童」の絵しか描かなかったことがふと気になったのだ。
「河童の川流れ」の「ことわざ」だが、彼が「ことわざ通り」得意の「河童」の絵だけを一所懸命描いたので、多くの人に高く評価されながら無事人生を全うすることができたのだろうか。あるいは自分の絵のうまさを過信して、モチーフを選ばず多彩な方向で絵を描き続けていれば、「清水崑の河童」は生まれず、漫画家、画家としてこれほど名を残すことはできなかったのか、そのことを考えることがある。
そうしてみると、音楽や絵画といった才能はともかく、持ち合わせた自分の才能を、何を対象に使うかという事がさらに重要であると思えたのだ。つまり自分の才能に溺れるとは、結局自分の才能を何を対象に発揮させるかという事が分からないという事ではないのだろうかと思う。

人生に成功するのも失敗するのも人生の醍醐味

私は若いころ、絵を描くことが好きで、可能であれば絵の世界で生きていきたいと思ったこともあったが、偶々(たまたま)高校生時代の同級生の中に、群を抜いて絵がうまい男がいて、彼の絵を見てから、その彼には勝てないと直感して、絵の世界で生きていくことを断念した経験があった。この時、こいつには勝てないと思った男が、その後有名なアーティストとして成功した。
それでいて、その時の私の判断が正しかったとも、間違っていたとも考えたことがない。「ことわざ」とは所詮、人間が自分が選んだことに対する自己弁護か成功自慢の言葉に過ぎず、自分が選んだことの結果を左右するものではない。人生の目標を達成するのも、思ったような人生を築けないのも、やっぱり自分次第だと思うのだ。成功して大笑いするのも、失敗して大笑いするのもやはり人間ならではの特権であり、醍醐味だと思うのだ。

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