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寝台列車

その時、寝台列車で東北地方への公演に向かった

音楽マネージャーの仕事をしていた時、よく寝台列車に乗った。今は日本中を新幹線が走るようになり、飛行機による移動も地方飛行場が整備されるようになって、詳しくは知らないがおそらくレジャー仕様の豪華なものを除けば、寝台列車という存在は過去のものになっているのだと思う。当時私が寝台列車に乗る必要があったのは、遠方の公演地で午前中か午後一番でコンサートが開演する場合が多かった。つまり目的地には朝早くか、あるいはせいぜい昼までには到着する必要があったということだった。私は関西を拠点に活動していた音楽マネージャーだったので、関西から寝台列車に乗る必要があるとすれば、東北地方と九州地方が多かった。もちろん例外はたくさんあったが、一般的に言うとやはり東北地方と九州地方が多かった。

私と演奏家が、まず関西から新幹線で東京に行き、東京から寝台列車で東北地方に向かうというのがよくあるパターンだった。しかし、ある時北海道から来るアーティストを現地で待ち受けるというケースがあった。相手は東京の女性ピアニストなのだが、北海道での公演を終えて、その足で青森に来るということだった。そうした事情で、私は一人で東京から寝台列車に乗って青森に向かうことになった。そのころ私は、人生の岐路に立たされているといってもいいような課題を抱えていた。
かなり昔のことなので列車の運行時間は全く覚えていないが、全く無人に見える朝の薄明の中に広がる東北の山野を長く眺めていた記憶がある。この東北の山野を源義経は兄の源頼朝に追われて平泉の中尊寺まで逃げたのか、といった漠然としたイメージが意味なく頭をよぎる。ただ、人っ子一人視野には入ってこないのに、馬や牛はそこかしこに見える。

まだ起きるには早すぎるので、また寝台車に戻ることにした。私の寝台は上段にあって、上段の寝台に上がると、同じ上段の隣の寝台から周りの迷惑にならないように声のトーンを落とした女性に声で、「お腹減ってないですか?」と、かわいい声がした。
声のした方を見ると、そこには寝台に半身を起こした、テレビでお馴染みの若いタレントがいた。そして稲荷ずしと巻きずしが入った寿司折り、つまり「助六」を、手を伸して私に渡そうとしてくれていた。私は驚きながらも、なぜか同時に幼馴染と久しぶりに顔を合わせたような寛ぎを感じて、さりげなく「助六」を受け取り、丁重に感謝の気持ちを伝えた。彼女は、活動しているジャンルはともかく、互いにステージアートの世界で生きていることが分かっているので、そういう世界で生きている者同士としてのごく普通の世間話をした

寝台列車での若い人気タレントとの意外な出遭い

彼女は私が彼女のことを知っていることも理解したうえで、「私って不細工だね!」と、つぶやいた。それはいま彼女の恋愛上のトラブルが、芸能雑誌でしきりに取り上げられていることについての発言なのだろう。私はそのことに少しも関心がなかったので、マスコミには自分のことを人に話す気はないと言えばいいのではないかというようなことを口にした。彼女は「そうだね!」と言って、いかにも吹っ切れたような笑顔を見せたが、私の言葉が彼女に何の解決ももたらしていないことは明白だった。

それからもなぜか二人の雑談は終わることがなく、結局寝台列車が目的地に到着する少し前まで話し込んでいた。最後に彼女は、「私きっと美容師になると思うよ!」と言いながら身だしなみを整え、美しい笑顔を見せて列車を降りていった。窓からプラットフォームを見ていると彼女と数人のタレントらしい若い女性が数人集まってきていて、女性マネージャーらしい人がその一団を改札口の方に誘導していた。それから、おそらく3年くらい経ったころだと思うが、偶然芸能雑誌を見ていて、彼女が芸能界を引退し美容師になったということを知った。

おそらく彼女は、何の解決にもならないことを承知の上で、寝台列車の中で自分と同じに夜中に起きている隣人である私に話しかけなければならない心理状態にあったのだろう。彼女との出遭いは、私の音楽マネージャー生活の一つのエピソードにすぎないが、いまだに彼女のことはよく思い出す。一人で東北へと向かう寝台列車の中ということもあるのだが、人生の岐路に立つ二人が、偶然に出遭ってそのやりきれない思いの中で、それでも相手を思いやるというやさしさに触れた日だった。


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