いくつもの顔を持つ「原宿」の商店街
マンションの扉を開くと、そのまま商店街の通行人に
私は「原宿」の商店街の中にあるマンションに住んでいたことがある。つまり、商店街の中にあるマンションとは、商店街の小さな店の並びの中に、店の代わりにマンションが入っているということだ。一階に店舗が入っていて、二階から上はマンションというタイプは多いが、このマンションは一階がマンションのファサードになっている。自分で部屋を選んだのではなく、仕事で私を東京に招いてくれた会社が見つけてくれたものだ。便利な代わりに部屋は驚くほど狭かったが、立地を考えれば当然のことだった。マンションの入り口のドアを開けると、そのまま商店街を歩く人々の流れに合流するしかない。かなり前のことなので、その頃から今日までの分、私も若かったのだが、それでも「原宿」の商店街を歩くのにふさわしい年齢ではなかったような気がしないでもない。横道から商店街に合流するようにマンションの扉を開いて、できるだけさりげなく商店街を歩く若い人たちに合流しようとするのだが、ひょいと顔を出した瞬間は、こんなオシャレなマンションになぜ、こんなおじさんがいるのだと言っているような顔をされる。
「原宿」の観察者としての日々
私の仕事の場は、このマンションからすぐのところにあった。それはそれで大きなメリットなのだが、もし仕事場まで遠かっとしたら、私にとって「原宿」に住むメリットはほとんどなかったと思う。ただ、しばらく住んでいると、「原宿」とはまったく関係なく、大都市の商店街がもつ特性を観察する格好の機会となった。
大都市の商店街の最大の特徴は、商店街の通行人のタイプが時間帯によって大きく変化することだった。まず平日を例にとれば、朝早くは、やはり通学の学生が目に付く。幼稚園、小学生から高校生まで、さらには大学生や専門学校に通う学生たちだ。こんな繁華街の周辺にも数えきれない学校と学生が潜在していることにはちょっと驚かされた。それともちろん「原宿」近辺で働いている人と思われる人々も、商店街を慌ただしく竹下通りの方向に向かって走るように歩いている。ところが通学、通勤に急ぐ人の足が途絶えてくると、昼前に向けて「原宿」に買い物や遊びに来ている若い人、というより中高生らしき若ものと外国人旅行者が次第に増えてきて、やがて行き交う人同士が嫌が応にも「袖すり合わせる」ほど、商店街の通行量はたちまち飽和状態になる。
商店街は生きている
基本的にこの状態が、多少の増減を繰り返しながら夜の八時くらいまで続く。私がこの辺りに住んでいた頃は、今ほど外国人旅行者が多くなかったように思うが、それでも商店街を歩く人のおよそ二〇パーセントは外国人だった。夜の八時を越えると、次第に通行量は少なくなって、一〇時を越えると、ほとんど通行人はいなくなる。それでもこの界隈には、録音スタジオや、コンテンツの編集スタジオなど、制作系のスタッフなどがまだ数多く働いている。音楽スタジオなどは二四時間、年中無休といった感じだが、こうした人々がコンビニで腹抑えの軽食やお菓子や飲み物を買ったり、あるいは商店街の通りを横道に散在している小さな規模の飲食店で、遅れた夕食を腹に入れる。途切れることのない少数のこの町の住民たちの動きは、早朝の四時頃まで続く。そしてそのあとは、全く無人の通りになるのだった。商店街の通りの人口密度が最大の時と、人っ子一人見かけることのない早朝の有り様を知ってみると、商店街は単なる施設の集まりではなく、一つの生命体であるような気がする。この時間帯はこの商店街がぐっすり熟睡している時間なのだ。
町や通りに姿を変えた人間の希望と欲望
人は町や通りを見て、自分がイメージした一つの典型を語りたがるが、私たちが見ているのは町や通りの特定の時間の一つの表情でしかない。私は幸か不幸か、イレギュラーな仕事に関わったことで、町や通りの多様な表情を見ることができた。町や通りはまさしくある種の生き物で、人間の思惑とは無関係に様々な表情を周囲に投げかけている。町や通りを、あるいは巨大な建造物、高速道路や鉄道施設を生き物として見ることによって、町や通りに姿を変えた人間の希望と欲望の幻影を見るような気がするのだ。