耐寒歩行の日
年に一度「耐寒歩行」という日があった
私が通っていた高校では、年に一度「耐寒歩行」という行事があった。スポーツイベントなのか、あるいは精神修養なのか、その目的は分からないが、学内ではなんとなく重要なイベントとして扱われていたような記憶がある。学校から耐寒歩行の対象となる山までバスで向かい、麓(ふもと)から頂上近くにある寺まで歩く。そして、適当な時間に自分で作ってきた弁当を食べ、そのまま帰ってくるというシンプルなものだ。耐寒と言えばかつて大きな事件となった「八甲田山」をほうふつとさせる言葉の厳しさが漂うが、実際のところは、学校からでも見える近在の山にただ登るという感じだった。
ということで、その当時のことに記憶を辿ってみると、私も一度しか「耐寒歩行」に行った記憶がないので、年に一度の行事というのは正しくても、どうやら全学年ではなくて、例えば年に一度、二年生だけが行くという決まりだったのかと思う。
なぜ、登山というレベルではなく、歩行という言葉が使われているかと言えば、男女の普通の学生がともに参加し、服装について厳しい規定があったわけでもないからだ。登山に行く装備ではなく、冬の装いにもう一枚予備の防寒着を持参するようにといった程度の注意事項だった。山の上には確かそこそこ立派な寺院があったが、名前も覚えてないのでいわゆる名刹ではなく、多くの参拝者が行くというところではなかったような気がする。
耐寒歩行の日に、予想外の大雪が降った
そういうことで、特に記憶に残るようなイベントではないのだが、今もその時の記憶がたまに蘇ってくるのを考えると、やはり私の人生に何らかのインパクトを与えてくれた耐寒歩行だったのだと実感する。その時の耐寒歩行で異変が起こった原因は単純に雪だった。耐寒歩行の山はそれほど高くもないので、雪でつまずいたということはこれまで聞いたことがなかった。しかも天気予報でも特別の注意報も出ていなかった。
チラホラ頭にかかる雪を見ながら学生たちは、春雪は縁起がいいと口々に勝手なことを話しながら歩いていた。ところが、急速に雪の量が増えてきて、見る見る山道に雪が積もりだした。雪が降ってきて華やいでいた気分は吹っ飛んで、なにやら不穏なムードが漂い始めていた。
雪で往生する中、一人の学生がオイッチニー、サンシー、
ゴーロク、シチハチと隊列を組んで号令をかけた
すでに道に積もった雪はスムーズな歩行を妨げるようにもなり、全体の歩行スピードは一気に半分ほどに落ちてしまった。そうなってくると付き添いの先生たちも不安に駆られ、先生たちに伝搬した不安に促されるように、体調不良を訴える女子学生たちが増えてきた。体調が不良で歩けなくなったが学生に対しては、小さなライトバンが付き添っていて、様子を見て実際に歩けそうにない人はライトバンに乗せていた。しかし、雪はどんどん強くなっていく。耐寒歩行の山道は、まるで深山の山奥のように白一色の世界に染まっていった。さらに学生たちの絶望感が募っていって、このままではこんな小さな山で遭難することもあり得ると、暗い予感を持ち始めていた学生もいた。そんな時に、ある学生が突如、オイッチニー、サンシー、ゴーロク、シチハチと、繰り返し掛け声をかけながら、行進を始めた。すると女学生を含めて多くの学生がその隊列に加わり始めた。隊列を組んで、掛け声をかけながら歩くと、これまで足が上がらなくなっていた学生たちの足が上がるようになってきたのだ。オイッチニー、サンシー、ゴーロク、シチハチという掛け声がだんだん力強くなっていって、足の進みも早くなり、いっそう快適なリズムになっていった。それから、そのスタイルは変わることなく学生たちは止まることなく進み続け、気が付けば乗ってきたバスの待機場に近づいていた。
便利な方式だけど、普通の日には使ってほしくない
予定より早く、耐寒歩行の重労働を終え、事故や負傷者もなかったことで、学校側はかなり満足したようだった。確かに人間は、隊列を組んでリズミカルな掛け声をかけることによって、脱落者もでず、力強い行動が可能になる。この方式は、今回の雪の災難に関しては、ずいぶん助かったという感じだが、上の立場にいる人からすれば、これはとても便利な方式だと考えるだろうと思った。それだから、軍隊やそれに準じる組織においてはこの方式が不可欠なのだが、それだけに、一般社会においてこの方式を使うのは、特別の場合にしてほしいと思わざるを得ない。確かに場合によって、隊列と号令が必要なことはあるに違いないだろうが、この日のような大雪の耐寒歩行の日なら仕方がないが、ごく普通の日に普通の人が隊列を組んで号令というのはいただけない。少なくとも、それがなくてもやっていける社会でありたいと思うのだ。
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