「薬の帝国」には生きたくはない
私はいままで一度しか入院したことがない
私は医者にかかったことはほとんどない。しかも薬もほとんど飲んだことがない。医者に関しては、あまり幼いころは自分の体に関しての管理権が自分にないので、入院したかどうかわからない。それで、その時を除外していうと、私は人生で一度だけ入院したことがあった。この時は不思議なことに、上の兄が盲腸になって、それが兄弟の何人かに伝染して、私も入院することになった。盲腸は伝染しないというのが科学的な事実だが、その当時には場合によっては盲腸が伝染するということもあり得るという説がそこそこ信じられていた。わが家に盲腸の伝染事件が発生したのが、私が高校生のころだったので、少なくとも五〇年くらいは病気や怪我で入院したことがない。
私は輸血は駄目という宗教の信者ではないし、医者には絶対に行かないという主義を持っていたわけではない。本当にただ、入院の機会がなかっただけだ。入院はしなかったが、医者にかかったことがあるかと人生を振り返ってみると、家内の両親の家のすぐ近くに住んでいたことがあって、確か世間でインフルエンザが流行っていた時だった。義父と義母にインフルエンザがうつっては困るということなので、ワクチンを勧められて近所の医院に行ったことがあった。医院で分かったことは、その時すでに私はインフルエンザに罹っていたのだった。ただし、ほとんど発症もしていなかったので、ビタミン剤とか何かどうでもいい注射をしてもらって家に帰った。すでにインフルエンザに罹っていたと家族に伝えれば、ひと騒動起きる可能性もあったので、いかにもワクチンを受けてきたような顔をして黙っていた。私が病院に行かなかったことや、ほとんど入院しなかったことは、まったく私の手柄や医師嫌い、信念といったものではなく、ただただ私の体が丈夫だったことが幸いしたのだと思う。
高齢になって病院に行けばたちまち「薬長者」に!
それでは薬はどうなんだということだが、医師に通ったり病院には行かないので、結果的に薬ともあまり縁がない。たまには、風邪をひいた時に売薬の風邪薬を飲むこともあるが、他の人に比べて売薬を飲む機会も圧倒的に少ないと思う。ところで私の知人にも高齢な人が多くて、彼らの話から、多種多様な大量の薬を服用しなければならないという話はよく聞く。高齢になると各部に不調が出てきて、様々な薬を服用しなければならないのだ。そのリスクは、メディアによると、たくさん薬を飲むと、それぞれの薬に含まれる、例えばAという成分が、一つの薬の中に含まれている成分についてはおそらく問題はないが、同じAという成分が一〇種の薬に含まれていて、薬全体の中にあるAという成分の量を合計すると、場合によっては副作用のリスクがあるというなことのようだ。最近は薬の種類や服用量などに関してある程度は管理されているかと思うが、実際に高齢の知人が携えている薬の量をみると、これは間違いなく医療被害の原因になると思ってしまう。
「金融支配」の中の巨大な医療産業を監視する人間の知識と良心
医療や薬の問題は、日本以上にアメリカなどでも深刻だと思うのだが、この問題の解決は容易ではない。というのは薬を提供するのは医師だが、薬を作って売って儲けるのは製薬会社だからだ。人の生命を守るという行為は「人道主義」に基ずく行為だ。ところが、ひたすら金を儲けるという行為は「金融支配」の屋台骨だ。この二つの立場の両立は難しい。医師や医療に携わる人は辛うじて「人道主義」の立場に立っているが、この「金融支配」の中でその立場を維持するのは至難の業だ。辛うじて「人道主義」の立場に立つ医師や医療に携わる人を支援できるのは、いつか患者となる可能性を持つ私たちだと思う。人間の健康な生活と健全な精神を守るためには、私たちはもっと製薬会社を監視できるまともな判断力を持ち続けたいと思う。
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