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「和食」はなぜ世界に好かれるのか

ちょっと美味しいものが食べたい

最近は、あまり美味しいものを食べた記憶がない。毎日、栄養バランスも考え、規則正しく三度の食事を摂っているが、どうも人間はそれだけでは満足できない。と言って何を食べたいのかと聞かれたら、焼き肉、ステーキ、ハンバーグと答える若い者のように即座には答えられない。そこそこ大人になって、日常の生活でちょっと美味しいものを食べたいという曖昧な感覚は、どうもそんなところにあるようだ。私の知人は、京都の「錦市場」で珍しい食材や食品を見つけてきたり、自分のところで開発したりしているが、こういう店が今も広い間口を守っているのは、社会的にもそれだけの存在感を発揮しているということになる。つまり、食卓やお膳に少しだけ味のアクセントを与えると、食事全体に花が咲くように明るくなるのだ。それが美味しいということだと思う。

「満漢全席」は美味しいのか?

中国には皇帝用の食事として「満漢全席」という献立がある。漢字から見ると満州族と漢民族の料理の粋を集めた料理という雰囲気なので、清朝の料理だと思う。私も中国には何度も行っているので、中国人が珍奇な食材を好むのはよく知っている。中国人との付き合いで私が食べた珍奇な食材や料理としては、ラクダのこぶ、サソリの唐揚げ、蛇のコブラ、セミの唐揚げ、ツバメの巣などがあったが、無条件に美味しいというものではなかった。
「満漢全席」は、満州族と漢族の最高級で容易に手に入らない希少な材料を使って、3日、4日かけて宴会を楽しむものらしく、最近の不景気で中国の飲食店状況がどうなっているかは知らないが、一時は北京でも「満漢全席」の看板を挙げた店を見かけたことがあった。こういう料理も当然、美味しいものということになるのだろうが、日本人としては綺羅星(きらぼし)をかき集めた「美味しさずくめ」では、疲れ果ててしまいそうになる気がする。私個人の好みとしては、品のいい「松花堂弁当」的な料理が好きだ。なかなかうまくは言えないが、良質な料理を布陣しながら、将棋で言えば「飛車」「角」といった抜きんでた二つ三つのキャラクターで華を添え、最後に料理全体のテーマを象徴するスーパースターがさりげなくトリを取るという料理の流れ、つまり「起承転結」が好ましく思える。

日本料理は世界中がルーツ

世界中のどこでも、料理人はその精華を競おうとするものだと思うが、その国の文化特性に沿うしかなく、そういう意味では世界各地から流入する文化を吸収し続ける日本の料理は、かなり自由であるような気がする。昨今、世界中で日本料理が注目され、また一般の家庭の中まで浸透し始めていると聞く。いかにも伝統的な「和食」だが、その実かなりユニバーサルな側面を持っている。例えば、寿司は日本料理を代表するが、おそらく中国の雲南に源流を持つ「なれずし」の系譜であり、その「なれずし」が日本中に普及していく過程で滋賀県の「鮒ずし」や全国各地の「なれずし」に展開し、やがては江戸前の「握りずし」に発展したのだろう。さらには日本料理の人気メニューの一つである「天ぷら」は、オランダ伝来とも聞くし、その他の多くの料理が外国にその起源があるともいえる。そうした起源をもつだけに、日本料理には世界の人々の口に馴染む性格を持っている。

料理の味については、日本料理において誰もが「郷土の味」という一種の国内ナショナリズムを持っているが、本来はその地域で手に入る食材というところから出発している。ところが、世界がますます狭くなってきた現代においては、食材もさらに国際化を進めるのは不可避で、アメリカの寿司に見るように、日本人には馴染みのない和食がすでに世界各地に登場し始めている。日本料理が世界中でごくありきたりのメニューになった時、料理そのものもかなりアレンジされているだろうが、その時に私たちが思う「ちょっと美味しいもの」とはどんなものなのか、正直なところ私は結構興味があるのだ。

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