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歩けないほど傾いだ京の「歩道」
ところによって京の街の歩道は驚くほど狭い
私は数年前まで東京に住んでいて、今はこの京都に住んでいる。学生時代や社会人になりたてのころも京都に住んでいて、簡単に言えば❝久方ぶりに京都に舞い戻った❞という感じなのだ。という事なので京都の街路を長く「定点観測」していたわけではないので、ずっと昔からこういう状態が続いていたのかどうかの確信はないが、京都の中心部の、もっと言うと市内中心部の狭めの大路の「歩道」がとても狭いと思う。基本的に「歩道」が左右どちらかにかなり傾(かし)いでいる。それはひどさを強調するための誇張ではなく、実質的に簡単には歩けない状態だと言える。
私は数年前に京都に帰ってきて、「烏丸通り」や「河原町通り」、「堀川通り」といった大きな通りではなく、もう少し道幅が狭い「大宮通り」や「三条通り」などを歩いてみると、車道の両脇にある「歩道」が異様に細くて驚いた。また「歩道」が狭いので安定した平らな道が確保できず、仕方なしというのか「歩道」全体の片一方側を高く傾斜させて、おちおち歩けないほど傾いだままになっている。この状態で場所によって電信柱が加わるので、狭い「歩道」に電信柱分の用地が奪われ、電信柱があるところは人と人が行き交えない。つまり、行き交う人のどちらかの一方は、車道と「歩道」を区切る小さな縁石を乗り越えて車道の方に越境するしかなくなるのだ。
千年王都と、現代の都市の兼用には無理があるのかも
若い人ならスポーツするように器用に歩けるとしても、ある程度以上の年齢の人、下駄や草履を履いている人、あるいはショッピング・カートを押している高齢者が「歩道」をよたよたと進んでいるのを見ると、人間としては少し悲しくなる。これほど傾いだ道を歩いた経験がない私が、「歩道」の傾斜に体の方を合わせて歩いていると、つまり体が相当に傾いだままに歩くことになり、私自身の三半規管(さんはんきかん)が無理を強いられることになる。そんな状態で、突然水平な位置に復元させられると、首の傾斜はすぐには正しい位置に戻らないので、おそらく私はしばらくの間、首を歪めたままでいるしかない。たいしたことはないみたいだが、この歩き方をしているとずいぶん肩が凝るのは言うまでもない。その意味では京都の人は偉いと思うのだが、私はすでにギブアップの状態だ。
京都のジレンマも分からなくはない。京都の街は不滅の千年王朝として存在しているが、現代の文明生活を支えるスケールや機能には造られていない。つまり道路を例にとれば,、将棋の目のように縦横に刻まれた道の多くは、千年前の書物に書かれた道と同じ名前だが、中には二、三メートルほどしか道幅がない狭い小路もある。しかし他の都市のように区画整理で道幅を一〇倍に広げられないのが千年の文化都市の辛いところなのだ。だから道幅一〇メートルの道路でも往復二車線の道路があり、車道の端には狭くても一メートルの幅の「歩道」が必要になってくるのだ。
言ってみれば、西暦七九八年に建都か遷都した「平安京」という都をそのままに、一二〇〇年以上生き続け、さらに現代の都市機能を担えと言うのがもともと無理難題ともいえる。そう考えてみると、京都という街で生活するのに色々不平不満はあるのだが、それを我慢するのが京都に住む条件だと考えれば、何とか一定の納得がいくのかも知れない。