「孤独」という悲しくも豊かな環境
自立していると思ったが、私は「孤独」な子供と思われていた
私の育った家庭はごく普通の家庭で、私は好き勝手に生活していたつもりだったが、母に言わせると昔から「孤独」を愛する子供だったという。しかし、私の同級生を含め、私の周辺にいた友人たちは、わが家は冷たい家族で、私が孤立して「孤独」な存在に苦しんでいるに違いないと信じていた。私の母親は、自らの感情を露わにすることをいとわず、歯に衣を着せない人だったが、それでいて人の苦しみに対しては人情豊かな人物だった。一方父は、正直言って何を考えて生きているのか判然としない人だったが、家族のことにほとんど関心がないように見えた。しかしそれでいて、長男と長女、それに末の男の子がお気に入りらしく、ちょっと気の利いたクリスマス・プレゼントを忘れないといった程度の愛情を注いでいたように思う。母は家族に対しての父の無神経な性格を熟知していて、クリスマスの日にはいつも、黙って他の子供たちへのプレゼントを隠して用意していた。父はもうすでに亡くなっているが、法事などの節目でも特別に思い出せるエピソードのようなものもなく、ありのまま言えば存在感の薄い人だった。しかし結果として父は家族や子供たちに干渉することもなく、意見を言うでもなかった。確かに見るからに家族愛に包まれた家庭ではなかったが、「孤独」を愛する私には快適な温度加減の家庭だと言えた。
私は自由に、この「孤独」を使うことができた
そうした私にとっては普通の、しかしよそから見ると家族のそれぞれが、無関心で互いに家族を突き放したように見える家庭環境にあったので、私はある意味で「孤独」に見えたのだろう。私は自由に「孤独」な環境を選べたので、この「孤独」を自由に使うことができた。母は決して私に無関心なわけではなく、生活の中で十二分に母親の愛情を認識することができた。私は、自分の「孤独」を知識の吸収に利用することを心掛けていたが、実は成人に達するまでに、古今東西の名著と呼ばれている本のほとんどすべてを読むことができたのだった。と言うのは、私の従兄で一直線に学問の道に進んだ人がいて、かつてわが家に長く下宿していたことがあった。その人は自分の教養に多少自信がなくて、大手出版社が出した各種の全集を必死で取り揃えていた。ところが、この人が私たちの家を去る際に、私が孤独好きな読書家だと思ってくれたのか、これらの本をそっくりそのまま私に残してくれたのだ。さらに私のすぐ上の兄も、そして長兄も多くの本を残してくれたが、二人の兄の一人は動物学の道に進み、自然科学、とりわけ動物学、生化学、進化論などの書物を、さらにもう一人の兄はジャーナリズムを志向していて、入門書のレベルだったが、政治、文学、歴史、思想関連の本を私に残してくれたのだった。
「孤独」は豊かな感性を研ぎ澄ます格好の実験室
兄たちはやがて社会に出て行って、自分たちが志向していた学問や職業の道を選んだが、こうした様々な分野の本を置いていってくれたおかげで、私は学問の入門書に当たる書物をほとんど無目的に読破していた。さらに、弟もやがて家を出たが、ジャズ関係のレコードを多数残していってくれて、これも私の感性に目鼻をつけるのに役立った。私自身はグラフィックアートが好きで、やがてその領域の広がりの中にある分野を自分の仕事にしたのだった。つまり孤立して自分の居場所を見つけられないことが「孤独」という感覚になると思う。私は逆に世間的に見て「孤独」と呼ばれかねない境遇に身を置いたのだが、その境遇こそが私の居場所だったようだ。
人は「孤独」を忌み嫌うが、私のように「孤独」を愛する人もいる。こうした人にとって「孤独」は、豊かな感性を研ぎ澄ます格好の実験室ともいえるのだ。自分の個性を自覚できず、居場所のない「孤独」はつらく悲しいものだが、「孤独」自体を否定するのは間違っているように思う。一人一人の人間にとって、その人の思いにふさわしい場と出会えたら、それは「孤独」とは言えないと思うのだ。つまり、個性豊かな人にとって、その人にふさわしい場を見つけ、そこに一つの世界を築くのは簡単なことではないかもしれないが、それが個性豊かな人が歩む道だと思うのだ。「孤独」は、ある意味で悲しい側面を持っているが、同時にはそれは豊かな自分を花開かせてくれる実験室ではないかと思うのだ。